大きな締め切りを乗り切ったので、噂の日系ネイル・サロン、Sakuraに行ってきました。
前から気になっていたのですが、距離的・心理的にちょっと遠くて。「心理的」というのは、ちょっと前に「特別な機会がある以外は自分で手入れして透明のトップコートだけ塗る」スタイルにしようと決めたのをひっくり返すことになるから。
何だか大げさですが、ネイルは美的感覚からライフ・スタイルまで一目で語ってしまう重大ポイント。私の意見では、美容においてここ10年でもっとも日本人の意識が変わったのが、ネイルだと思うのです。95 年にNYに来た時、教会とネイルサロンの多さに驚き、当時の同僚に「ペディキュアをしないでサンダルを履くのは自殺行為」と教わり、98年夏に里帰りしたとき(下着みたいなキャミ・トップが流行って目のやり場に困ったので、よく覚えてるんです)、きれいにペディキュアをしている人がほとんどいないことにさらに驚いたのが私の「ネイル考察90’s」。それが、今では間違いなく日本は世界一のネイル先進国なのですから。マメで手先が器用な人が多い国民性にマッチしたのでしょう。
自分の目には入らないネックレスはサーヴィス精神を表すアクセサリーで、しょっちゅう目に入る指輪は自己満足のアクセサリー、とどこかで読んだことがありますが、それならネイル・アートは究極の自己満足。完璧に塗られたマニキュアは余裕とともに近づきがたささえ漂うし、生活感のない派手なネイルアートはもう、自己主張・表現の域です。男性の目には、見栄っ張りで浪費家に映る可能性もあり、そのリスクを背負って施すのはモテるためのおしゃれでなく(again)自分のため。
目に入るたびに気分がいいので中毒性も高い上、ポリッシュがはげたり、伸びて汚くなったりしているのは何もしていないよりNGなので、一度ネイルサロンに通う習慣が付くと、その時間を確保するための努力も必要です。これは経験者しか分からないもので、通じない相手に「医者の予約があるから」と同じ感覚で「ネイル・サロンに行くから」と伝えて中座し(当人的には同じくらい重要なのです)、ひんしゅくを買っている人も何度か見たことがあります。手入れをする場所・時間はプライヴェートにしておいた方がスマートかも。
とか何とか、ごちゃごちゃ考えるタイプだから、「決意」までしちゃう。ツメを綺麗にしているのは好きなのですが、以前、スカルプをやって激しく傷めたので、「透明ネイル」に落ち着いたワケです。でも、透明でも手入れは結構面倒。そこでNYに上陸したツメに優しいカルジェルでまた心が揺れてしまったワケです。
結論から行くと、行って良かったです。来週のジャマイカ取材の間、気持ちよく過ごせそうだし、なんと、担当してくれたネイリストさんが知り合いの元カノ(ええ、微妙な状況です)で、元気かしら、と時々思っていた人だったのです! NYは狭い。思わぬ再会に静かに盛り上がってきました(日系サロンですから)。お値段は日本よりは安いけど、NYの相場としては高め。サーヴィス内容を考えると価値があったと思います。アクリルのつけ爪みたいな圧迫感もないし、自然だし、私みたいに自己主張というより身だしなみの範囲内でネイルをしたい人向けではないかと。