ディアスポラ

私の文筆活動における隠れテーマは、「異文化交流」および「外国人」「移民」です。

私の記憶は2歳から5歳までいたヴァージニア生活から始まっています。人生の初期設定が「外国人」だったので(そして、日本に帰国後のあだ名が<ガイジン>だったので)、いまだにこのテーマに非常にそそられる。

土曜日はハーレムまでお見舞いに行った後、中国系のネイル・サロンに行ったら担当してくれた女性が日本語堪能。なんでも90年代に6年間日本に住んでいたとか。その時は旦那さんと一緒だったけれど、今回のNY生活は一人。福建省に成人した二人の子供と旦那さんがいるそうです。話を組み合わせると、子育てをほとんど親戚に任せてずっと働き詰めの人生らしい。それでも日本のことをほめまくってくれて、久しぶりの日本語の会話がうれしいみたいで、好きなことだけして生きている私は聞いていてちょっぴり申し訳なかったです。

日曜の早朝、空港に向かう直前に階段で鍵を落とし、それが大家さんが脇に放置している大型ガラクタ群の間に紛れ込んでしまい。20分強、ガラクタ群を一緒に片しながら鍵を見つけてくれたタクシーの運転手さんはアフリカ人から来た人でした。ほんっっとに助かったので、チップを多めに渡したら、

“Oh, you make my day”(君のおかげで今日はいい日だよ)

って。いやぁ、それはこっちの台詞。

機内で隣席だったおじいさんは、ずーーーっと低い声でハミングをしていました。うなり声のような、エンジンの音のような声で、まぁまぁ迷惑だったのですが、とりあえず文句は言わないことにして。着陸寸前に気が緩んだのか、「40年前にアメリカに移住して、今回は10回目の飛行機で…」とフツーに話しかけて来ました。単純計算だと5往復、8年間に1回の里帰りになりますが、たぶん、最初から里帰りができたワケではないでしょう。

みんな、強いです。人生に当たりも外れもないかも知れませんが、やっぱり日本に生まれてラッキーだったと思う瞬間は多い。

トリニダードでインド系の人たちが作るカレー・ロティを食べながら、そんなことを考えています。

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