2018年ブルーノ・マーズ&ビヨンセ観察記

「仮に、1曲も知らなくても絶対に楽しめるステージを見せるアーティストが、ビヨンセとブルーノ・マーズ」と私は常々、言ってきました。そのふたりのパフォーマンスをライヴとストリーミングで見られた2018年4月第2週末、贅沢でした。

4月14日、人生3回目のブルーノ・マーズのコンサート。日本で観るのは初めて。チケットを取るまでが大騒ぎで、初めて乗った電車が大幅に遅れて車内が殺伐となったこともあり、さいたまアリーナに到着したときには、すでにぐったり。でも。ベースボール・シャツに身を包んだブルーノが“Finesse”と歌い始めたときに、疲れもぼっち参戦のつまらなさも吹っ飛びました。私は『Unorthodox Jukebox』の方が『24 K Magic』より4割り増しで好きなので、前回、ブルックリンで観たときの方がわれを忘れる感じがありましたが、それでも、踊るは歌うわ大騒ぎ。最初に、不満をふたつだけ。ミュージシャンのNBAのユニフォームのサイズ感がおかしい。あのピッタリ感は、選手に見えてしまう。90年代ファッション(街着)をイメージしているなら、オーバーサイズ気味にしてほしかったわー。それから、相棒のフィリップ・ローレンスがいなかった。なぜ。なんで。アリーナ後方から目を凝らして探しちゃったじゃないか、フィリップ。

(左からふたりめがフィリップさん。2016年のスーパーボウルのハーフタイム・ショウ。iPadで思わず撮った間抜けな写真)

 

『24 K Magic』は1ミリの隙もない、シームレスなアルバムです。初めて聴いたとき、80年代後期〜90年代初期のR&B、テディ・ライリー/キース・スウェット/ボビー・ブラウン/ベイビーフェイス+α全体をジャックしていて「そう来たか!」と驚愕しつつ、あ、これはあの時代に衝撃的だった、ディスコではなくヒップホップもかかるクラブ向きのR&Bをそのままそっくりステージに持っていくための作品だな、と合点が行きました。

もともと、古い音楽の要素を取り入れるのが上手なブルーノが、さらにわかりやすい形で特定の年代のスーパーヒット曲の要素をリメイクしたのが、セカンドからのシングル、“ Locked Out of Heaven”でした。80年代のニューウェイヴをもっと黒くしたような音で、ブルーノ本人は「ポリスを意識した」と言ってましたね。私はザ・パワー・ステーションぽいな、と思いました(調べてねー)。それから、マーク・ロンソン名義の“Uptown Funk”で70年代に遡って爆発。「俺らの“Oops Upside Your Head”に似ている!」とチャーリー・ウィルソンさん率いるギャップ・バンドの面々に怒られてクレジットを直す1件はあったものの、見事に2016年のグラミー賞のレコード・オブ・ジ・イヤーを受賞。

思い返せば、この辺りでサードアルバムの方向性が固まっていた可能性が高い。でも、私はボケーっとセカンドアルバムを聴き込んでいました。それもあって、ライヴで圧巻の歌声を着替えた“Treasure ”と、バラッドの“When I Was Your Man”が一番、響きました。“When I Was Your Man”みたいなストレートすぎる本音を、そのまま歌うブルーノが好きなのです。「俺が君にしてあげるべきだったこと、新しい彼氏がちゃんとしてくれているといいけど」って。

失恋して男を上げる稀有なタイプ、ブルーノ・マーズ。

ああ。セカンドとサードで は音楽性よりも描いている男性像が変わっているのが、大きいかもしれません。『24 K Magic』に出てくる男性は上から目線でモテモテイケイケで、ええ、こうやって書いても気恥かしいほどの、ちゃらい人。セカンドまでは、一途な恋愛ソングが多かったのにね。「変わっちまったな!ブルーノ!!」と内心。そういえば、アリーナのスタンディングにはそういうタイプがちらほらいたかな。最後はピュア時代の“Just Way You Are”で締め。なんだかんだアメリカも整形美人が勝ち上がっている昨今、「どこも変えないで/そのままで完璧だから」と歌うこの曲は、シンプルなようで勇気と男気に満ちています。

映像中継のビヨンセ・イン・コーチェラ、ハッシュタグ的にベイチェラについてもちらっと。同時中継で見たのは半分だけ。それでも「世紀のパフォーマンス」 であるのは、登場時にすっと了解できました。ヌビアン・クィーンやブラックパンサー風といった今まで何度か見た出で立ちに加え、「黒人大学のチアリーダーかと思いきや実は学長」という新たな設定が加わって、2016年『Lemonade』以来、ひたむきに黒人性をより強調してきた方向性が、ひとつの完結を迎えて、すばらしかった。

(これもスーパーボウルのとき。実はコールドプレイの時間だったんですけど。クリス・マーティンさんへの好感度が上がりしました↑ エゴがない人だわー。コーチェラでビヨンセの応援をしているようで、結果的に邪魔をしたリアーナちゃんは見習ってほしい)

 

歌唱力、ダンスの切れ、美貌、計算され尽くした衣装。

ビヨンセは、ここ2年でマイケル・ジャクソンと肩を並べました(当社比)。

『Off The Wall』や『Thriller』ほどの超絶傑作、ゲーム・チェンジャーとなる作品は、まだ作っていません。一方、マイケルのようなスキャンダルも、整形依存のような弱点もない。ビヨンセに必要なのは、クィンシー・ジョーンズみたいに総合力のあるプロデューサーかも。Don’t get me wrong、『4』も『Lemonade』もすごいアルバムですよ。ただ、『Off The Wall』と『Thriller』は、万里の長城みたいな、ピラミッドのような、「どうやって作ったの、それ 」と見上げるしかないアルバムなので。作品の真の偉大さは時間が証明するので、ビヨンセにはまだ時間があります。

ビヨンセは、旦那のジェイ・Zとともに「Bay-Z大会社」とも呼べる鉄板のビジネス形態を築き上げ、おそらく、テレビ局やグラミー賞よりも重要で力のある存在です。無敵。ものすごーく頭のいい人たちだから、大金持ちで天才、すべてを持っている姿を見せるだけでは反感を買うのはわかっていて、ちょいちょいリリックやドキュメンタリーで「悩んでいる、フツーの私たち」を伝えてきます。その悩みは、本物でしょう。ただ、存在としてすでに「超人」の域に達している。共感したり反論を唱えたりする相手ではなく、ひれ伏すのみ。

私が大好きだった、怖いくらい美人で太ももが立派すぎる、冗談が通じないところがおちゃめなデスチャのビヨンセは、もういない。それがよくわかったパフォーマンスでした。畏敬の念を覚えながら、興奮しながら、どこか寂しさを感じる時間でもありました。いまのビヨンセには、ブラック・パワーと歌の力で世界を少しでもまともな方向へ揺り戻す、という使命があり、本人もそのために全身全霊でパフォームしています。もう、世界を救うのはワカンダ人かビヨンセか、というレベル。

超人でありスーパーヒーローであり、その分、現実味もない存在なのです。

これからは、ブルーノとビヨンセの両巨頭を素直に見上げて生きていくことにしましょう。いや、それしか残された道はない。ラーメンをすすって曲を書いていたブルーノと、2回もメジャーデビューをつぶされて必死だったビヨンセ(とディステニーズ・チャイルド)の若かりし面影を心の片隅に抱きながら。