クリント・イーストウッド、政治を語る〜もっとも誇りに思っている作品は『硫黄島からの手紙』

また、ブログの間隔が空いてしまいました。「せめて週1でアップデートしよう!」と年始に思った、あの決意はいずこへ。年始から2月いっぱいまで忙しく、3月は少しのんびりやりたいなぁ、と思っていたらウクライナ侵攻が始まってしまって。

平和を願う気持ちの発露、戦争の犠牲になっている人々に思いを馳せるのは、もちろん大事です。

と同時に、精神状態をおだやかに保つのも大事です。

毎日のニュースにチャンネルを合わせるだけで、戦禍の映像が流れてきてショックを受けたり、涙を流したり。過激な映像が得意ではない人は、ニュースにふれる時間を制限してもいい。私は2011年、311のときにニューヨークで日本のニュースに釘づけになった結果、眠れなくなったり気もちが不安定になったりしたので今回はとても慎重に情報に接しています。

はい。最近の仕事のリンクを貼りますね。

元カニエ・ウェストのNetflixオリジナル・ドキュメンタリー『jeen-yuhs カニエ・ウェスト3部作』のレビューです。映像のリリースから3日以内の公開を目指しました。来週の3月25日は対訳を担当した『DONDA』の日本盤も出るので、あの大作でカニエとその仲間たちがなにを言っているか知りたい方は、ぜひ。

それから、サイン・マガジン・チームに声をかけてもらってポッドキャストでよく話しています。そのなかで、クリント・イーストウッド回を補足しておきたいな、と思い、その回で引用したウォールストリート・ジャーナル(WSJ)の2020年2月21日付の記事を和訳しました。これ、注意事項があります。これは「個人の無料ブログ」でお金が派生しないから、という言いわけつきのグレイゾーン行為です。ウォールストリート・ジャーナルは日本版があるので、権利はそちらにあります(それもあって英字の原文は載せません)。引用する場合はリンク先の原文にあたってくださいね(怒られたら、とっとと消します。興味のある人は早めに読んでください)。要約するか、一部の引用に留めるのが安全なのですが、それだとイーストウッドの人となり、話し方、全体の雰囲気が伝わらないので。

私が和訳を載せる理由。

  • Poplife the Podcastの準備をするにあたり、日本でのイーストウッドにかんする情報が偏っているな、と感じたからです。早撮りで有名なせいか、感覚的な監督だと論じられる風潮が強かったり。ポッドキャスト内でも話しましたが、「イーストウッドはトランプ元大統領の熱心な支持派」とのフェイクニュースがいまだに幅を利かせていたり。前者はまちがえているとは言いませんが、私は「自分の主張がはっきりある、でも答えを用意しないで観る人に委ねる映像表現が得意」な人だと、むしろ主張を伝えるためにきっちり計算する作家だと思っています。
  • もうひとつは、最近かっちりした英文を訳してなくて鈍りそうだったから、という限りなくわがままな理由です。どうせなら、自分が読んで、心から感銘を受けた文章を訳したかった。歌詞の対訳はまたちがう能力を使うので。

では、インタビューの和訳です。

「ずっと昔のことだけど‥」と、秘密を明かすかのようにぐっと私のほうに近づきながらクリント・イーストウッドは語り始めた。「ラスベガスにいたときにさ」。このハリウッド俳優兼監督は、カジノの大富豪、スティーヴ・ウィンが所有するホテルに宿泊していたという。「スティーヴが部屋まで電話してきて『ゴルフをしに行かないか?トランプも一緒なんだけど』って。俺は『え、誰?』って。それでスティーヴが『トランプだよ。トランプは知っているだろ』」

大物揃いである。イーストウッドとウィンがドナルド・トランプと一緒に朝からゴルフコースに出たのだ。「笑えたよ」とイーストウッド氏。「俺がスティーヴと並ぶと」—未来の大統領の耳に届かないところでは—「奴が言うんだ。『トランプがカジノ・ビジネスに手を出しているのは知っているでしょ。奴はきっと大損するよ』ってね」。そして、ウィン氏が聞こえないところでは、「トランプがこう言うんだ。『スティーヴが大型ホテルを作っているのは知っているだろ。きっと大失敗をするよ、ホテルなら飽和しているからね』」

ふたりは、数時間にわたってお互いをディスっていたとイーストウッド氏。「一緒に並んでいるときは、すごいい友だちみたいだったのに、別々になった途端にそれぞれひどいことを言っていたんだ。どれくらいわざとだったかわからないけれど、一匹狼の私にとっては非常に興味深かったね」。

簡単な朝食を囲みながら私がトランプ氏にたいする考えを聞くと、イーストウッド氏は答えの代わりに思い出を語ってくれたのだ。彼が所有する、アメリカでもっとも地価の高い土地の一部、カーメル・バレーとモントレー半島を望むテハマ・ゴルフ・クラブでのことである。

89才のイーストウッド氏自身は、積極的に政治に関わってきた人物である。地方レベルとはいえ、トランプ氏のように政治家としてオフィスを構え、1986年には選挙で勝ってカーメル市の市長を務めた。ハリウッドでは保守派と知られるが、彼は超党派(2党派)だと主張する。彼の言葉によれば、現職の市長が街の住民から「かけ離れすぎてしまった」ために選挙に出たのだそう。「彼女は公の会議の場で編み物をしていたんだ」と。

キャンペーン・スタッフがカーメルの住民を見つもったところ、「共和党と民主党でちょうど半々」という結果になった。「私は(当時)共和党だったが、人々は全米レベルにならないと、政党では物事を図らないから」と彼。市長選では、候補者の支持政党は問われなかったのだ。「たくさんお茶を飲みながら、住民としゃべったよ。これも直すし、あれも解決しますってね」。彼は2166票対799票で政敵に完勝し、2年の任期を全うして再選挙には出なかった。「同じ老人たちが議会をずっと占拠するのはよくないからね」と彼はつけ加えた。

当時、広く報道された市長としての初仕事のひとつに、アイスクリームの公売にかんする厄介な地方自治体の禁止令の緩和がある。30年以上が経ったいま、彼はゴールデン・ステート(カリフォルニア州の俗称)が「規制都市みたいになってしまった」と嘆く。過剰な法律のせいで、「カリフォルニアを民主主義と離れた場所にしてしまった」と。

ブルックリンのポーリッシュ・レストラン、ポルカ・ドットで食べたランチです。東欧のお料理は塩も油もしっかり入っていてわりとヘヴィですよね。ウォルトがポーランド系なので。

イーストウッド氏は自らをリバタリアン(自由主義者)と称する。「ほかの人の考えを尊重し、常に学ぼうとする人間」だと。曰く、彼はつねに「進化中」であり、『ダーティー・ハリー』(1971)から『グラン・トリノ』(2008)までで演じた過度に男性的な(※ハイパー・マスキュリン)役柄よりもずっと含みをもたせた物言いで会話をする。

ただし、声自体は同じである。映画のスクリーンで浮気っぽいセリフでもハスキーな脅しでも非常にしっくりくる、あのテノールだ。自作の映画についても熱心に語ってくれ、プロデュースと監督を務めた『グラン・トリノ』にも話が及んだ。彼が演じたウォルト・コワルスキーは朝鮮戦争帰りの、つむじまがりの退役軍人である。トロイト郊外の貧困地域に住み、近所に住むモン族の人々を激しくきらっている。イーストウッドはトランプ氏が統治するアメリカをある程度は反映していると同意した。「逆境のなかで人々が手を組まざるをえない」ような。

この映画は世界で270万ドル(300億円以上)を稼ぎ出した。「私がなぜこの映画を好きか、そして同じ理由でたぶんアメリカ人も好きだったか、話そうか」とイーストウッド氏。「主人公は人種差別主義者。それも、かなりひどい。彼はすべてマイノリティの人々を嫌っている。そのような彼が、心底嫌っていた人々を慈しむ気持ちを育むんだ」。彼のエージェントはこの映画の製作に反対したそうだ。「なんでそんな偏屈な男を演じたいの?」と彼女には言われたのだ。しかし、共同プロデューサーのロブ・ローレンツに見せたられた脚本にイーストウッド氏が惚れ込んだ。「だって、極端な人間が大きく変化してまたちがう極端な人になる話だから」。

「『グラン・トリノ』は人々が男性性をけなすようになった時代に作った映画だ」とも。彼は臆することなく男らしさを誇示できた時代に、典型的なアメリカ人男性をよく演じた人である。その彼が、そういう時代は過ぎた、とはっきり言う。主人公を演じた作品として一番新しい『運び屋』(2018)では、騙されて犯罪を犯してしまう陸軍上がりの80代の老人を演じた。イーストウッド氏はの役柄について「彼も男らしいほうだよね」と言う。「でも、私が以前演じたような偽の男らしさとはちがう」。

偽の男らしさとは、どういう意味だろう? 彼の説明によると「衝動的で、文化的な生活に基づいた気品がなかった。私は時々バカでさえある、男らしい役柄を演じてきたんだ。彼らは、すてきな上品ぶったかんじの社会を上から見下ろしていたわけだ」。それから、自ら刑罰をくだしてしまう警官が主人公の『ダーティー・ハリー』を例に挙げた。「人生のある時期にハリー・キャラハンを演じるのは楽しかったよ。彼はさまざまな経験を乗り越えてき人物で、そのくせ向こう見ずだった」とイーストウッド氏。当時は、人々は道徳的にまちがえていることを恐れ、「まちがえた発言しないようにしていた」時代だったと。

現在のアメリカにもある、みなが恐る恐る生きているムードを#MeTooムーヴメントを出して例えた。「#MeToo世代は正しい」とまず認めた。「脅して性的な行為に及ぼうとする人々に立ち向かう女性たち」を讃えもした。そして、彼がチョイ役で始めた時代から、映画業界に性的搾取はあったと話す。「1940年代、50年代にはほんとうによくあることだったよ」。そこで一旦、止めて皮肉っぽく言い足した。「60年代、70年代、80年代、90年代も‥‥」。

それでも、イーストウッド氏は近ごろの性的な関係を取り締まる風潮は度を越していると懸念する。「ハーヴェイ・ワインスタインや、似たことをした奴らのせいで人々は頑なにになっている」と考えているのだ。現在、ニューヨークの陪審員たちに命運を握られている彼らにたいして、まったく同情はしないともはっきり言った。それでも、性的な無作法を責めるあまり、「法律的にだけでなく、原則的な推定無罪」が失なわれしまったと憂慮しているのだ。

最新作『リチャード・ジュエル』は、キャシー・スクラッグスの描き方が#MeToo絡みの議論に吸い込まれて、苦戦を強いられたという。アトランタ・ジャーナル・コンスティチューションの記者だったスクラッグスは2001年に亡くなっている。1996年のアトランタ五輪の際、彼女は警備員だったジュエルが爆弾を仕組んでふたりの死者を出したと虚偽の告発を仕かけた。ジュエルは(イーストウッド氏の言葉によると)「88日間の地獄」ののちに解放された。その間、彼は母親と住んでいたアパートからほとんど出られなかったのだ。イーストウッド氏は、ジュエルが2007年に44才で亡くなった「根本的な責任」は彼女にあると言う(糖尿病の合併症による心不全が直接の死因である)。

12月に公開されたイーストウッド氏の監督作では、オリビア・ワイルドが演じたスクラッグスがFBI 捜査官と寝てスクープを取っていたと描写している。新聞社の弁護士はワーナー・ブラザーズに書状を送り、そこには彼女の扱いは「完全にまちがいであり、悪意に満ちています。とんでもない中傷被害です」とあった。映画会社は、ジャーナル・コンスティチューション紙の告発は「根拠がない」と返答した。

イーストウッド氏は新聞社からの告発へは直接は反応せず、映画として許容される監督の権利を訴えるに留めた。「実は、彼女は警官の溜まり場だった街のバーに入り浸っていたんだよ」と彼は言う。「交際相手も警官だった。それで、その事実は少し映画で変えたわけだ。地元の警官ではなく、連邦警官にした」。

「ジャーナル・コンスティチューションは、<飛ばし記事>が無実の人への迫害につながってしまった罪悪感をごまかそうとしている」とイーストウッド氏は話す。彼は、ワーナー・ブラザーズが新聞社にたいして「失せやがれ(go screw themselves)」と返してほしかったそうだ(映画会社はその件にかんして、どんな訴訟を受けて立つと誓っている)。イーストウッド氏は、「望むところだ!(Make my day!)」と『ダーティー・ハリー』の名台詞を茶目っけたっぷりに言いながら、自分自身で新聞社を訴えてやろうかとまで言った。「自分たちが彼を死に加担した事実にもっと注目してほしいなら、そうすればいいよ。それをやるくらい、バカなのであれば」。

監督したなかで、もっとも誇りに思っている作品を訪ねたところ、日本語で撮られた2006年の『硫黄島からの手紙』を挙げた。2か月前に公開された、同じ戦闘をアメリカ人の視点から描いた『父親たちの星条旗』の撮影中、「日本軍に徴兵されて、戻ってくることはない、命じられながら硫黄島に送られた男性」はどのように感じたのか悩んだのだという。彼はこう思ったそうだ。「アメリカ人には下せない命令だよね。アメリカ兵なら『戻ってこられないとはどういうことですか?』と返すだろうから」。

本作は日本軍の一等兵と島の指揮官、栗林忠道中将を巡る映画である。栗林は戦前は駐在在武官としてアメリカにいた。イーストウッド氏は「アメリカをよく知っていた」にもかかわらず、アメリカ兵と死闘をくり広げた栗林にとくに惹かれたという。『硫黄島からの手紙』はとくに日本で批評家から高い評価を受け、当国でアカデミー賞に当たる賞レースで最優秀外国映画賞を受賞した。

イーストウッド氏はほかのアメリカ敵国についての映画、たとえば、『グァンタナモからハガキ』や『モースルからの公文書』といった作品をこれから撮るだろうか? 「それは最近すぎるかもしれないね」と彼は答えた。彼が日本に惹きつけられたのは、「両国の関係が良好であるという事実と、私たちが日本の歴史や背景を感謝している部分があるから」だそう。彼は、日本人が何を乗り越えてきたのかを理解したかったのだ。「アルカイダやISISについて十分に知っているとは言えないからね」と話し、そのうえで彼がアメリカ側からの視点で911についての映画を作るのも歴史的に時期尚早だとつけ加えた。

アメリカ国内の政治状況については、イーストウッド氏はがっかりしているようだった。「政治の質が非常に悪くなってしまった」とあきらめたように肩をすくめた。「トランプが行った功績のいくつかは認める」ものの、「(大統領を)もっと品よくやってほしかったよね。ツィートしたり、名指しで責めたりしないで。個人的にあのレベルまで自分を落とさないでほしかった」。ホテルまで私を車で送りながら、ほかの元市長への親近感を示した。「いまはマイク・ブルームバーグをホワイトハウスに送り込むのが最良だろうね」。

‥どうですか。お手本級のインタビューです。それほど長くない記事のなかで私たちがクリント・イーストウッドにたいして一番知りたいことを過不足なく聞いてくれています。解説および感想を書いておきますね。

・トランプ元大統領にたいするオブラートに包んだ本音

→トランプさん憎しの人たちよりは認めている部分はあるけれど、基本的には品がないと思っている。  

・80年代になぜ突然、市長になったのか。

→子どもたちが大好きなアイクスリーム・トラックの取り締まりを緩和した話が最高。

・彼が考える「男らしさ」の定義。演じてきた役柄とマチズモの変遷

→ハリー・キャラハン好きとしては衝撃と納得感に襲われた奇妙な体験でした。

・ハリウッドの性的搾取をはっきりと認め、加害者側にたいして容赦がない視点をもちつつ、「やりすぎだよね」な考え

→いまの風潮は極端だとしても、「セクハラもほめ言葉」な発想や認識を完全に変えるには私はしばらくこのままでいいと思っているので、賛成はしません。これ言う人多いよね、くらいのかんじ。

・『リチャード・ジュエル』の女性記者の描写はリサーチに基づくものだった。

→そうだろうな、と思っていました。でないとあんなにわかりやすく炎上しそうな人物設定にはしないはず。ただ、死者に鞭打っていいのか、という意見も正しいし、リチャード・ジュエルの早死には冤罪報道が関係ある、と信じてイーストウッド氏の言い分もわかる。難しいです。

最後。『硫黄島からの手紙』を作りながら、日本人についていろいろ考えてくれたのは素直にうれしいし、ありがたいです。日本人はアメリカやアメリカ人についてしょっちゅう考えているけれど、一般的なアメリカ人にとっては「たまに思い出す」くらいの存在だから。片想いなんです、日米関係って。一方、第二次世界大戦のときの日本兵はアルカイダと同じくらい「敵」だったのか、というモヤモヤ感も。

以上です。現行の戦争の話で始めて、締めも先の戦争を出す展開に愕然としつつ。

新譜ではラッキー・デイやロザリア(彼女の新譜は雑誌でレビューを書きますが)、映画の『アネット』、『ナイトメア・アリー』の話も書きたいのですが、さて、ブログを続けられるかな。