Di Captain

あけましておめでとうございます。

と言っていいタイミングかわからないのですが。正月休みが明けて、強く思うこと。ジャマイカに行けば良かったぁぁぁぁあああああ!

今年は日本の暦が良かったから、余裕で2週間弱行けました。それに気がつくのが遅くて、チェックしたときはすでにエアーチケットが高騰していて。
あと、ふだんは手が回らない企画書とか、資料整理とか、調べものとか、そうそうブログとか、やることいっぱいあるじゃーん、と思ったのもNYにベターっといた理由。

で、あんまり捗らなかった。休みの友達各位に思いっきり流されました。楽しかったからいいです(←基本、快楽主義者。楽しくなかったら、意味ない)。あと、音楽をいっぱい聴けました♡ なにげにマジメなので(自分で書くか)、ライナーや取材、対訳のプロジェクトがある間は、そのアーティストばかり聴くんですよ。関連作品は聴くけど、とても偏った聴き方をして、頭の中をそれだけでいっぱいにする。そうすると、ほかの音楽が思うように聴けない、という「なんのために、この仕事しているの?」という矛盾が生まれるのです。

その状態から解放されたお正月よく聴いたのは、フレディ・マクレガーの『Di Captain』。東京から届いたお歳暮に入っていました。フレディのキャリアを振り返る藤川毅氏による小冊子やステッカー、ポスター型のカレンダー(VPの有名作品のポスターがコラージュされていて、いい感じ)も入っていました。ありがとう、東京のお兄さん。

日本で先行発売された『Di Captain』は、非常にフレディらしいアルバムだなぁ、と感じました。実質15曲中7曲がカヴァー。スタワン時代のアルバム・タイトルにもなった「ボビー・バビロン」のセルフ・カヴァーから始まり、マイティ・ダイアモンズやビートルズ(!)、ヘプトーンズまで。白眉は、全世代全世界全方位的クラシックの「ホーム・イズ・ノット・ア・ホーム」。R&Bでもレゲエでもよくカヴァーされる曲ですが、だからこそ、難しい。ヘタな歌い手は手を出さない方がいい曲です。これを、船長がソウル魂炸裂で歌い倒している。ルーサー・ヴァンドロスのヴァージョンが最高峰だとずっと思って来ましたが、フレディ・ヴァージョンも負けず劣らず濃い。今回のアルバムのためではなく、ずっと歌って来たのでは、と思われるこなれ方です。
フレディ・マクレガーは、まちがいなくジャマイカを、レゲエを代表するシンガーですが、「レゲエ・シンガーでフレディが一番好き」という人は少ないよう思います。その理由も、新作を聴きながら考えてみました。結果、

人間として、まとも過ぎるから

という、理不尽な理由なのではないか、と。
グレゴリーが持っていた「常にイっちゃっている感」、シュガーの「永遠のやんちゃ坊主感」、アルトンの「究極のジェントルマン感」、ベレスの「歌にすべてを賭けてる感」、そして、デニス・ブラウンなら「絶対的王様感」。そういうギリギリの 、「俺には歌しかないんだ」という感じが、フレディには、ない。レゲエ協会の会長も務められちゃうし、子育ても得意(はい、チーノとスティーヴン参照)。ディスじゃないです、その分、長生きしてくれそうでいいなぁ、と思っています。

だから、円熟期のいまは、カヴァーがいいんですね。息子らと作ったオリジナルの曲もすばらしいのですが、どちらかと言うと、グループ作品までひとりで歌い切ってしまう、力技で唸らされるカヴァー曲に発見がたくさんある。

実はフレディ船長、デニス・ブラウンが亡くなったあと、ステージでデニスの曲ばかり歌っていた時期がありました。私の記憶にまちがいがなければ、それでちょっと叩かれました。「Here I Come」とか、持ち歌みたいになっていましたし。いま思うと、みんながデニスを失ったショックから立ち直っていなかったからかもしれないし、ライヴァルだったのも多少関係あるしれません。そして、ひょっとすると、デニスの歌をたくさん歌っていたのは、ほかならぬフレディが、ライヴァルを失った喪失感を埋めようとしていたからかもしれない、といま改めて思うのです。

……というのが、『Di Captain』を聴いてつらつらと考えたこと。
まだ聴いてない人はチェックして、機会があったらどう思ったか教えてくれると嬉しいです。

 

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