差別について私が知っている2、3のこと

5月25日にミネアポリスで起きた、元警察官のデレク・シャービンと他3名がジョージ・フロイドさんを、圧死させた件で全米が紛糾し、世界中が注目しています。駆け足ながら、今回の事件の背景をまとめた記事も多くの人に読んでいただき、ありがとうございます。11日が過ぎた現在も、各地で抗議運動が続いています。人が集まることについてはいろいろな意見があるでしょうが、取り囲んで加担した3人も逮捕、起訴されたので、やはり効果はあったのではないでしょうか。

2013年から始まり、2015年あたりに大きく高まったブラック・ライヴス・マター運動は、SNSカルチャーと親和性が高いのが特徴です。非常に深刻な話でも、「流行りのコンテンツ」になってしまう危うさがある。それでも、いままで以上にアメリカの人種差別問題について考えるきっかけになったのはよかったように感じています。

この文章はブラック・ライヴス・マター運動そのものではなく、その先にある「私たちにできること」への提案です。その一歩として、「差別を生む心は誰しもが持っていて、気をつけないと表面化してしまうんだよ」という話。

このブログを覗いてくれるヒップホップが好き、海外の文化に興味がある、レゲエを通して外国人の友だちがいる、といった人たちはとくに、自分たちは人種差別や性差別を止める側にいる、と感じているでしょう。そして、それはだいたいの場面で合っていると思います。

ただ、こんな風に感じているなら、少しアップデートをする必要があります。

○同じ黒人でもドレイクみたいに肌の色が薄い人のほうが親近感がわくし、怖くない。

○黒人や、日本に住む外国人ははじめから怠け者だったり、あまり頭がよくなかったりする。

○高い地位に就ける女性は例外であり、女性の多くはその資質を持ち合わせていない

エトセトラ。大風呂敷を広げてしまった気もしますが、もう少し私の言い分につき合ってください。

ここで、アメリカ人を一発で怒らせる言葉を書きます。

You are a racist (人種差別するタイプだよね)

あのトランプ大統領でさえ、激怒します。

もう少し柔らかいThat seems racist. (それって人種差別的だよね)も、気軽に言ったら大変なことになります。KKKみたいな極端な白人至上主義者でない限り、アメリカ人は日頃、自分は差別的ではないと思っている人が大半であり、それを指摘されると気分を害します。みんな、それなりに気をつけているのです。それでも、今回みたいな事態が頻繁に起こる。

なぜか。それは、古い価値観をそのままにしているからだと思います。フロイドさんのような殺され方はとんでもないけれど、黒人男性が暗闇を歩いていて職質をしょっちゅう受けるのは仕方ない、と思うなど考え方、捉え方にはグラデーションがあります。それから、自分が偏見をもたれたり、差別を受けたりする側でも、ナチュラルにほかの人種を差別するケースもある。アフリカ系アメリカ人のなかにアジア系に意地悪をする人もいるのは、海外で暮らした経験がある人なら身に覚えがある現実です。ほかに、同じ人種でも肌の濃淡や、たとえばニューヨークだったらカリブ海の島々から最近移民した人にたいしてアフリカから連れて来られた先祖をもつ人たちが、「一緒にしないでくれ」という態度を取ることもあります。

ただ、やられたからと言って、ほかにその気持ちを向けてしまっては負の連鎖になります。

そして、連鎖を断ち切るためには、人間は、放っておくとうっかり差別をしてしまう生き物だ、という自覚が必要です。アメリカ人が人種差別をしている、と言われて怒るのは、それがストレートに自分の不利益になるからです。レストランのレビューで「差別的な対応があった」と指摘された日には、非難の嵐が起こり、場合によっては不買運動に発展するし、リベラルなイメージが強いハリウッドでは昔の発言を持ち出されて役を降ろされたりする俳優さんは多い(昔の発言を持ち出すことに関しては、それはそれで問題があるように感じています)。そこで生まれるのがポリティカリー・コレクト(政治的に正しい)な態度。これを上っ面だけだと言う人もいますが、個人的には上っ面でも、平等に扱ってもらったほうが私はいいです。

私自身を含めて、人間は自分と人を区別したがり、似ている人に親近感を感じ、異なる人には警戒心を抱きます。それ自体は、本能的なものだと思う。外国人や移民にたいする考え方も人それぞれなので、私はそこで言い争いをするのは不毛だと思っています。ただ、差別はいけない。そして、「どこから差別になるのか」という点に関して、日本で暮らしているとあまり考える機会がないのではないか、と思ってこれを書いています。

どこから差別になるか、自分を例にして説明してみます(被差別側を黒人の人ばかりにするのは、それこそフェアーではないので)。

事実;池城美菜子は、海外生活が長かったうえ、いい年をして結婚していない。

反応1;海外生活が長かったうえ、いい年をして結婚していない池城さんは、変わっているだろう/気が強いにちがいない/常識がなさそうだ/地雷かもしれない

→これは、ステレオタイプ(Stereo Type/類型化)な見方です。もちろん、OKです。

反応2;海外生活が長かったうえ、いい年をして結婚していない池城さんは、

変わっているはずだから、話が合わないだろう/気が強いだろうから、めんどくさい/常識なさそうだから、迷惑をかけられるかもしれない/ほぼ地雷確定

→これは、偏見(prejudice/プレジュダイス)です。少し哀しいですが、大丈夫です。自分の生活を守っているだけだと捉えます。初対面でこういう態度が見られた場合、こちらも全力で逃げられるので、あとからじわじわ反応1から2に移行されるよりましなくらい。「池城さん、案外ふつうですよね」と言われたときなどは、その「案外」はどこから来た、と内心思っても、華麗に流します。この傾向が強い人と仕事などで関わらなければいけない場合は、がんばって偏見を取り除く努力をします。大人ですから。

反応3;海外生活が長かったうえ、いい年をして結婚していない池城さんは、

変わっているはずだから、やり取りを拒否しよう/気が強いだろうから、他の人とは扱いを変えよう/常識がなさそうだから、店に入れないでおこう/地雷認定されるのは本人の責任だから、大声で悪口を言ってもいいし、あることないこと言いふらされるのも仕方ない。

→ここまで来て、差別(discrimination/ディスクリミネーション)です。完全アウト。まぁ、めったにこのレベルにはならないですが、可能性は0ではない。たとえば、反応2をする人が集まって調子に乗った場合、最後の「悪口」のあたりは、すんなり移行しそうです。

これらのことが起きた場合、抗議をするべきだし、抗議が受け入れられる世の中を目指すのが差別をなくす第一歩でしょう。日本は、2と3があいまいで、全部ひっくるめて「差別」と言っていたり、2の傾向がある人が3をやっている人たちに理解を示したり、寛大だったりするケースが多い。2の「偏見」は物事の見方であり、それでよそよそしい態度を取ったところで、差別とはちがう。偏見が強い人は自分の世界が広がらないので損はするかもしれないし、実年齢関係なく「この人、古いな」と思われる可能性が高いですが。

とにかく、アウトなのが「3」。ここに、絶対に足を踏み入れないこと。2と3の間にある線を常に意識することが大切だと思うのです。

価値観や知識をつねにアップデートするのは少しめんどうかもしれません。たとえば、性差別に関してよく耳にする「(好き勝手に言えた)昔のほうがよかったなー」と思っている時点で、強者の立場にいた可能性が高い。無自覚にいろんな人を傷つけたり、嫌な思いをさせたりしてきたと思ったほうがいい。受け手が「流す」のをやめただけです。自分の感じ方と世間の反応がずれて違和感があったら、自分のほうが古いかな、と確認しましょう。私も「日本の新しい常識」がわかっていないときがあるので、「あれ?」と思ったら心のメモに書いています。たとえば、昨日はメンズ・ノンノを読んで若い男性のメイクに関する意識の高さを知りました。もし、化粧品売り場で男性が横に並んで選んでいても、へぇーっと長めに見るのはやめよう、と思いました。アップデートはキリがなくて、ずっと続くことです。だから、ちょっと手間。でも、知らず知らずのうちに人を不快にしたり、傷つけたりするよりずっといいです。

それが、2020年以降の生き方だと思います。