3度めのメランコリー『Man of the Moon 3 ; The Chosen』「男の子でしょ、泣きなさい」と教えてくれたキッド・カディ

47.7才シリーズでNas『 The King’s Disease  』を書く準備をしていたのが、12月11日、キッド・カディが出発点である『Man of the Moon 』シリーズの3作目をリリースしたので、カディ応援団団長(自称・非公式)としては、こちらを先に。

「月の男」シリーズの第1作目にしてデビュー・アルバムだった『Man of the Moon ;The End of the Day 』のリリースが2009年、2作目の『Man of the Moon Ⅱ;The Legend of Mr. Rager 』がその翌年だから、実に10年ぶりの3作目。トリオロジーだと捉えると最終章になるけど、2016年頃に「3作目はない」と発言していたし、きっちり3部構成で考えているわけでもなさそう(怒りの男、ミスター・レイジャーが前面に現れたら、また作りそうな気がする)。今年は、エミネムと「月男とスリム・シェイディの冒険」を出したり、トラヴィス・スコットとのザ・スコッツをリリースしたりで、クリエイティビティが爆発している模様、と思ったら、SNSで匂わせてから間をおかず、16曲を届けてくれました。

これが、あいかわらずの憂鬱で内省的な、儚いヒップホップで。最高です。

ビルボード200はテイラー・スウィフトについで初登場2位でデビューしたものの、翌週に圏外に落ちたり、音楽サイトのピッチフォークで「衣装が合わなくなったロックバンドのリユニオンみたい」という、見当違いも甚だしい、スットコドッコイな(いや、まじで)レビューとともに4.9点がつけられたりもしている一方、絶賛している媒体、ファンも多い。そもそも、キッド・カディって響く人にどストレートに効きすぎるし、良さがよくわからない人には、一生ピンとこないタイプのアーティスト。

ストレートに効きすぎた後輩には、トラヴィス・スコットやロジックなどがいます。ちなみに、トラヴィスの本名はJacques Berman Webster (ジャック・バルマン・ウェブスター)で、「トラヴィス」も「スコット」も、どこにも入ってない。名前の由来を聞かれたとき、「大好きな叔父さんの名前から取った」と答えていますが、キッド・カディの本名、スコット・メスカディとダブっている点も気に入っているそう。

カディの功績は、「月男」シリーズの第1作目で、それまでのヒップホップでは考えられないくらい、内省的なリリックで売れて、「え、これ、ありなの?」とみんなを驚かせたこと。それまでも辛かった幼少期を振り返ったり失恋をテーマにしたり、「弱気」な曲はあったけれど、あくまでもアルバムのスパイス代わりの分量でした。たとえば、12曲収録されていたら1、2曲そういう曲を紛れ込ませるに留めて、アルバム全体の面構えは「強気」でいく、という。

2009年、カディは『Man of the Moon ;The End of the Day 』の2か月後にリリースされたカニエ・ウェスト『808s &Heart Break』の3分の1にあたる4曲のソングライティングに参加、「ローランドTR−808で作った傷心アルバム」という全体のトーンを遂行するミューズ(男性だけど)、よき相棒となります。当時のカニエとキッド・カディは、バットマンとロビンを思わせる相性のよさ、信頼感を漂わせていました。2018年の『Kids See Ghosts』は、それぞれが病んで、喧嘩して、和解して、わかり合ってできた作品。バットマンとロビンは、実は内なるジョーカーを背負っていて、「お前、お化けが後ろにいるぞ!」と言い合いつつ、「でも、神様がついているから!」と祈り、神に癒しを求めていました。どうやら、カニエのほうは今年、とうとうジョーカーと同化してしまいましたが。

「月男」シリーズの第1作目と第2作目のテーマは、マリファナやコカインやアルコール、そして女性への中毒でした。今回は、さらにうつ病の症状が加わっているのだから、明るいはずがない。一方で、2010年代のヒップホップの主流は、「手当たり第、気持ちいいことしてハイになろうぜ!」でした。手を変え(=サブジャンルの多様化)、品を変えて(歌ったり、オートチューンを多用したり)はいたけれど。でも、ハイになったらあとはローが必ずきます。それもハイになる前より落ち込むのが常で、「ハイになろうぜ!」と言っているわりには、鬱屈した音になるのはしかたない。ザ・ウィークエンドの『After Hours』にしても、ジュース・ワールドの遺作にしても、浮遊感と落下してクラッシュする寸前みたいな刹那感が同居しているのは、そのため。そして、そのマイナス面も包み欠かさず、最初に曲にしたのがカディともいえる。

ドラッグほどハードではなくても、二日酔いでも失恋でも、バーンとぶち上がった時間とセットで、「底」は待っている。ハイにならないままでも、日常を過ごすだけで生きづらさを感じる人もいます。最近、HSP(Highly Sensitive Person)という言葉で認知されたように、強い刺激に弱い人は一定数いるし、人によって弱点も違う。「もっと大変な人もいるのに」とか、「頑張れば、大丈夫だよ」などの励ましの言葉が、無効どころか、凶器にもなり得るという認識が浸透したのが、2010年代だったのかもしれません。

少し話が大きくなりましたが、「黒人らしさ」に「マッチョ」を重ねるのがヒップホップ初期のテンプレートだとしたら、「いや、そんなの辛いじゃん。だって、俺たち(私たち)、ほかの人種の人より人生ハードモードじゃん」と20年以上経って修正を加えたのが、キッド・カディとドレイクであり、一部のカニエ曲だと思います。だって、ドレイクの永遠のテーマって、「虚無感」ですよ。そこからゆるく広げたのがエモラップであり、肌の色関係なく、世界中の10代がエモラップに反応するのは、「居心地が悪くて、生きづらくて、当たり前なんだよ」と肯定してくれるからではないでしょうか。

キッド・カディは36才、日本ではアラフォーと言われる年齢になりましたが、繊細さと、シリーズ2作目で紹介した「ミスター・レイジャー(怒りの男)」と一緒に生き続けてきたようです。「 Tequila Shots」に、その心情がよく出たリリックがあるので、引用しましょう。

This fight, this war in me/I’m not just some sad dude

You can see my life, how I grew, I want serenity

この闘いは 内なる葛藤で 俺は別に暗いだけの男じゃないし 

俺の人生 どうやって育ったか知っているでしょ 静寂がほしいだけなんだ

つい、暗さばかりを強調しましたが、カディ本人は飄々として、おしゃれで、存在そのものがかっこいい人です。演技にも定評があり、そのうち俳優で大ブレイクすると私は信じています。音楽でもチャレンジ精神が旺盛で、ロックに寄ったアルバムは正直、好きではなかったけれど、枠にはまらない姿勢は凄いと思う。原点に戻った3作目では、ドット・ダ・ジーニアスやエミール・ヘイニー、マイク・ディーンといった昔からのプロデューサーたちと再タッグを組む一方、イントロの「Beautiful Trip」でビリー・アイリッシュのお兄さんのフィネアスも起用しています。

「月男」シリーズは、芝居の幕みたいにパートが分かれています。幕ごとに内容を解説しましょう。

第1幕「Return  2  Madness (狂気への帰還)」

1〜5曲の幕開けは、おなじみのカディ節が続きます。先ほどから上がって落ちる、と書いていますが、ずーっと落下しているような曲が多いのは、内面に響いている声を表に出しているから。4曲め「She Knows This」は、今回いくつかやっているトラップ寄りの曲のひとつ。カディの音楽性はトラップの誕生にも少なからず影響を与えているため、これは先祖返りとも言えます。コーラスがセクシーでいいですね。人気曲なのも頷ける。

第2幕が「The Rager, The Menace(怒りの男 厄介者)」

6〜9曲目はさらにダークな内面を吐露しつつ、暴力的になっていきます。6曲目「Damaged」では、一度ぶっ壊れた以上、こう生きるしかない、と言っています。話題になっている、スケプタの故ポップ・スモークとの「Show Out」ではドリルに挑戦していますが、正直、あまりハマらないというか、ボーナストラックくらいでいいかな。キッド・カディのスキルの高さ、器用さを示してはいますが、それ以上でもそれ以下でもない、というか。ブルックリン産でもUK産でも、ドリルは「暴力的な生き方」を投影した音楽で、鬱屈した気持ちは通じても、本質的にギャングではなくシティ・ボーイ(あえて)のカディのヴァースは借り物感がある。ただ、彼と故人となったポップ・スモークと、どんなやり取りがあったのか、気になります。第2幕目の最後の「Mr Solo Dolo Ⅲ」はシリーズ物ですね。「お一人様」だけでも使うけれど、「ひとりで酔ったりハイになったりする人」の意味もある。

第3幕「Heart of Rose Gold(ローズゴールドのハート)」

10〜14曲では自暴自棄な暴力は影を潜めますが、代わりに生涯つきまとう心の穴、冬の心象風景を映し出します。11才で父をガンで亡くしたトラウマ(「Elsie’s Baby Boy (flash back )」、「落ち込まないように自分を虚空に放つ」と歌う「The Void」もとても綺麗な曲で。このセクションに耳を傾ける限り、彼の音楽性は「ヒップホップ」だけに留まらない気がします。その証拠に、「Lovin’ Me」で招いているのはインディー・ポップのフィービー・ブリジャーズ。少しずつ、薄っすら光が差してきている雰囲気がいいです。

第4幕「Powers(パワー)」

15曲目から最後までの4幕目が「パワー」です。カニエ・ウェストの「パワー」は権力や影響力を指しますが、キッド・カディのパワーは治癒力、自らを救う力です。「Rockstar Knights」では、同じオハイオ州出身のトリッピー・レッドを招集。年下のアーティストを起用すると、少し若作り感が出てしまうものですが、カディが弟分キャラのせいか自然です。まぁ、トリッピー・レッドと仲の悪い6ix9ineを代わりにからかうようなラインはあるのですが。「4 Da Kidz」は、孤独に苛まれている10代の人々に、「一人じゃないから 大丈夫」と歌いかけています。この曲で「chosen(選ばれし者)」というタイトルの言葉が出てくる。これは、自分に似た、感受性が強くて、現実的(悲観的)になりがちだからこそ空想に逃げ込むタイプを励ますために、あえてこの言葉を置いている気がします。

ざっくり、『Man of the Moon 3 ; The Chosen』の内容を紹介してみました。サウンドの面でものすごく目新しくはないけれど、リリックに沿った丁寧なトラックを選んでいて、長年のファンを満足させる内容です。カディは鼻歌、ハミングが多い人ですが、あれに癒しのパワーがある、というレビューを指摘している英語のサイトがあって、納得しました。私もカディの鼻歌みたいなパート、大好きです。「悲しくても、弱気でも「キッド・カディ、なんとなく好きだ」と感じた人の理解が深まると、うれしいです。