N.W.A. ストレート・アウタ・コンプトン Pt.1

8月14日の公開以来、様々な話題をさらい、興行成績1位を記録しているN.W.A.のバイオピック、『Straight Outta Compton』を観たので、感想を書きます。長いので、パート1とパート2に分けました。最初は、「私が考える、ヒットの理由」です。

結論から書きますね。

面白かった、というひと言では片づけられないくらい、動揺しました。

ニガーズ・ウィズ・アティチュード。キュートに訳せば「ひと癖ある野郎ども」、ストレートに訳せば「やれるならやってみろ、なニガー達」という絶妙な名前を持つN.W.A.のファンだったことは、一度もないです。だって、本当に怖かったから。私がニューヨークに引っ越した日に、イージー・Eが亡くなり、大ニュースだったのは鮮明に覚えています。自分が知っているミュージシャンが死んだのは初めてだったので、とてもショックだったことも。

ヒップホップを本腰で聞き始めたのが、90年前後。N.W.A.はすでに内部分裂を起こし、ディス合戦をくり広げ、アイス・キューブの『デス・サーティフィケート』あたりはリアル・タイムで聞いたけれど、「かっこいいし、うまいけれど、怖すぎる」が素直な感想でした。

スパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』で衝撃を受け、『マルコム・X』が大ヒットしたときは関連書籍を片っ端から読んで、黒人男性に対する不平等が延々と続いている事実を知っていても、N.W.A.関連の人たちが発するメッセージを正面から受け取るのは、「自分の知っている世界とかけ離れ過ぎていて、ムリ」だったのです。 それくらい、彼らがリリックで描く現実は、ニュースとしてどこからも入ってこなかった。


(オリジナルのメンバーです。左からキューブ、ドレー、イージー・E、DJイェラ、MCレン)

 

その現実が、ヒップホップも関係ない日本人にまでいきなり届いたのが、何もしていないロドニー・キングさんが警察の袋叩きに遭ったのに、警官たちが無実になった事件が発端で起きたLA暴動でした。このときも、暴動の原因がN.W.A.の「ファック・ザ・ポリス」にある(=煽った)、とする、本末転倒な意見を言うメディアも多かった気がします。

あれから、四半世紀。

N.W.A.の結成と、「ファック・ザ・ポリス」が生まれた背景を丁寧に描いた映画が誕生して、アメリカ中が大騒ぎしています。 私が考える大ヒットの原因を、箇条書きであげてみますね。

1. ヒップホップ史上もっとも重要で、もっともお金持ちのプロデューサー、ドクター・ドレーと、ラッパーから俳優、映画プロデューサーに転向したアイス・キューブという大スターふたりの出発点のストーリーであること。

2. 伝説のMC、イージー・Eが亡くなって歴史が終わる、悲しくも完ぺきな結末を持つこと。

3. ドレーとイージー・Eを演じたふたりが、よく似ているだけでなく、とても自然な演技で、感情移入ができること。アイス・キューブは、息子さんが演じているだけあって、見た目は一番、似ていますが、なんか優し過ぎるのです。90年代のキューブを覚えている人は、「お父さん、もっとふてぶてしくて怖かったよ」と思ったのでは。

4. 監督は『フライデー』や『セット・イット・オフ』のF.ゲイリー・グレイ。PVをたくさん撮っているだけあって、ライヴのシーンの迫力、盛り上がりは圧巻。中盤の一番重要なライヴ・シーンは、鳥肌モノでした。

5. 彼らの物語は、アメリカで広く知られています。曲は知っているけれど、アルバムを聞き込んだ覚えはない私ですら、「あ、あった、あった」と思い出すシーンが多かった。理由を考えて思い当たったのが、MTVの姉妹局、VH1のドキュメンタリー番組『Behind The Music』です。当時の映像と、当人、関係者の証言を組み合わせて全体を振り返る番組で、これを作ってもらって一人前、みたいな風潮があったほど人気でした。再放送がとにかく多いのも特徴。N.W.A.は主要メンバー3人と、それを編集したグループ自体の番組がありました。

6. ここ数年の、黒人男性が殺されたにも拘らず(ロドニー・キングさんよりひどいです)、殺した側の警察官や自警団の白人男性が揃って無罪放免となり、“Black Lives Matter(黒人の命だって大事だ)”との気運が高まっているタイミングであること。


(映画のキャストです。雰囲気ありますね)

 

最後の理由は、大きいでしょう。法を遵守して、一般的な国民を守る立場の人たちが、裁判や選挙のシステムを利用して、ひたすら自分たちと、その上にいる政府だけを守っているのに、みんなが嫌気がさしている。何が起きているか、きちんと報道しないメディアに腹を立てている。アメリカでは、抗議デモのニュースはさすがに流れるけれど、保守寄りのテレビ局は「全員の安全を守るためには、多少、警官がやり過ぎても仕方がない」と、涼しい顔で言う論客も必ず出します。

丸腰の黒人少年がフーディーを被って夜歩いていただけで、殺されて、「仕方ない」で済まされる社会があっていいはずないのに。メディアと行政側への不信感は世界的な動きで、そもそもの原因が違っても根っこの部分で、日本で怒りの声を上げている人たちと繋がっています。荒唐無稽な陰謀説は苦手な私でも、ここ数年の「なんだか仕組まれている、うまくやられている感」は否めない。

あえてダウンタウン・ブルックリンの映画館に行ったので、黒人の人が多かったですが(で、「そこ、笑うところ?」で大笑いしていましたが)、全米で様々な人が見ていると思います。20年以上前の出来事が、まったく昔話に思えない現実が、横たわっているからでしょう。
(Pt.2に続きます。公開直後に起きた、ドレー・バッシングについての私見を書いています)。

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