R.I.P. Sugar Minott

先週は、シュガー・マイノットのお葬式と、ヴィザの更新を中心に過ごしていました。今回は、ラブリッシュ唯一のAC付きの部屋に逗留。ここの女将のじゅんちゃん自身のジャマイカでの出発点がシュガーのユース・プロモーションだったこともあり、朝、遺体がユース・プロモーションに到着するところから私も出席しました。

予定時間から2時間遅れて棺が到着。

顔の部分がガラス張りになった棺で、日にちが経っていたわりにはきれいだったシュガーの死に顔も撮ったのですが、こちらの新聞にも載っていなかったので、とりあえず私も自粛します。日本の雑誌など、遺族の目に触れるのがずっと先になる機会に公開するかもしれませんが。

本葬はナショナル・アリーナにて。飾ってある写真は、RMのメーン・フォトグラファー、菊地昇さんによるもの。じゅんちゃんが昇さんに頼んで送ってもらい、キャンバスに引き延ばして持参したところ、そのまま遺影になりました。
24/7の八幡さんからも、長女のパッションとの2ショットが届き、こちらもじゅんちゃんが昇さんの写真と一緒にキャンバスに引き延ばしたのですが、妻とベイビーズ・マザーが13人、子供が14人とかで、いろいろ複雑そうだったのもあり、その写真はユース・プロに留まっていました。あとでパッションの手に渡ればいいので構わないのですが、彼はいろんな意味で「一族の長」だったのだなぁ、としみじみ。シュガーに似たギョロ目を持つ孫も、何人か見かけました。

式に先駆けて、ゆかりの深いアーティストがマイクを握りました。トリスタン・パーマの“Good Thing Going”がとくに良かった。

ニュージャージーから駆けつけたナーキさん。彼は80年代にシュガー/ユース・プロで修行し、その縁でシュガーはジャパンスプラッシュに深く関わるようになります。タキオンに2年いた私も知らなかったのですが、ステージの設営からサウンド・システムの組み方まで、シュガーがいろいろ教えてくれたのだそうです。

「日本のレゲエ・シーンの最初の時期に、シュガーが果たした功績は大きいのです。彼がいなかったら、日本のレゲエは違ったものになったかも知れない」
とナーキさん。神様のカラーが強かったほかのスピーチより説得力があり、こちらの新聞にも引用されていました。

式のあとは、アイシャ・ハウスのゆみちゃんの車に分乗して、1時間離れた山中の埋葬場へ。カー・クラッシュのセレクターでもある、ゆみちゃんの車にはすごいシステムが組まれていて、そこからガンガンにシュガーの曲を流しながら、山へ分け入って行くのは感慨深いものがありました。

写真は最後の場面です。

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