トレスポ世代。

トレイン・スポッティング、もといT2の話です。ネタバレバリバリ、というか、観た人が読む前提で書きます。

これから見る予定のある人は、読まないほうがいいかもしれません。

巨匠ダニー・ボイルの〜、とか、イカした4人組の〜、とか。エッジの効いた音楽と、スタイリッシュな映像と、絶妙の疾走感。そして、何よりも登場人物の外見のせいで「かっこいい」ことになっている作品だけれど、私は、昔もいまもトレスポは、

「ジャンキーの青春残酷物語」

だと捉えていて。赤ちゃんのシーンは、軽くトラウマになっていて。一番、マジメだった仲間の死に方もひどいし(演じた俳優さんは「グレイズ・アナトミー」でかっこいいお医者さんを演じていますね)。

21年前の公開当時、ちょうどニューヨークに引っ越したばかりで、街中にポスターが貼られていました。

仕事も希望もない、ギリギリの福祉はあるから働かなくても、ギリギリのラインで生きていける。余った時間はドラッグで潰す。そういう人、ニューヨークにもいました。

後半のロンドンで悪さをするシーンは、小気味よくて好きなんですけど。T2を見る前に、最初の作品を復習したら、記憶の中で前半と後半がほとんど別の作品としてインストールされていて、びっくりしました。

テンポを落としたT2は、中年残酷物語ではなく(まぁ、そういう面もあるかな)、ひたすらスパッド演じるユアン・ブレムナーの怪演にひれ伏す2時間でした。

トレイン・スポッティングは、主要キャラクター全員がその後、大活躍した映画としても知られています(ロバート・カーライルはその前からスターですが)。その中で、ブレムナーだけ少し、影が薄くて。でも、影の主人公である彼が演じたスパッドに隠れた文才があって、家族も心のどこかで待っていて‥というオチは、人生を選ばなくても、人生が待っていてくれた、という理解でいいのでしょうか。

「心がきれいな、救いようのなジャンキー」という設定に「実は冷静に周りを観察していて、文才もあるジャンキー」という、もう一段階深い真実が明かされ、それを表情ひとつ、体を傾ける角度ひとつで演じ分けていました。

ちなみに、一周回って彼が書いたことになった原作を読んでみようかなー、とkindleでサンプルをDLしたところ、すごいの。

These foreign cunts’ve goat trouble wi the Queen’s fuckin English, ken.”

みたいに、スコティッシュのなまりそのまま。ジャマイカのパトワ対訳とほぼ同じ労力がいるので、あえなくギブアップ。日本語版の翻訳者さん、リスペクト。

それにしても。T2ほど男性の思い入れが強い作品も珍しい。30代ひとり、40代ふたり、50代ひとりと感想を話し合ったのですが、なんでしょう。みんなとにかく「最高」って連発するんです。

最初のトレスポが揶揄したところの「まともな人生」を選んだ人ばかりだけれど、どこかで「選ばなかった」めちゃくちゃな彼らに対して憧れがあるみたい。スクリーンで代わりに道を踏み外してくれたからこそ、思い入れがあるのかもしれないですね。

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