ホーキング博士の『The Theory of Everything(博士と彼女のセオリー)』

昨日、初めて「過集中」という言葉を知りました。

集中し過ぎて、周りの様子が見えなくなる、声をかけられても聞こえなくなる状態です。

私は、たまーにコレになる。

子どもの頃、本やマンガに集中し過ぎて、夕飯に呼ぶ母の声が耳に入らないことば度々あり、気の毒なママは2階まで上がって来て、私の真横に立って「やっぱり」と呆れていました。呆れてはいたけれど、「次女は本好き」という事実を受け入れて、まったく叱らなかった私の母は、大らかで優しかったのだとも、改めて気がつきました。なぜなら、「集中、聞こえない」という、検索をかけたところ、思いのほか同じ症状(?)の人が多く、それもお母さんが「うちの子はおかしいのでは?」と相談しているケースが多かったからです。

だから、大好きな小説は私にとって「贅沢品」。頭と気持ちの切り替えが下手で仕事の妨げになるので、ふだんは手を出しません。映画に対しても慎重。ハマるとずーっとずーっと考えてしまうのです。「誘われたら行く」という受け身なスタンスで、大味なハリウッド映画を「残らないからいい」という妙な理由で選ぶことがあるほど。

一昨日、ジャマイカから来ている友だちに誘われて行った『The Theory of Everything』は、久々の「しまったちゃん」な映画でした。スティーヴン・ホーキングの映画が公開されたのは知っていたけれど、細かいことまで知らず、トレイラーもあえて見ないで出かけたところ、まともにドーンと受け取ってしまい。ドッジボールで、球を体の真ん中で受け止めて、胸からお腹の部分が痛くなることあるじゃないですか。あの状態。

トレイラーを見てみましょう。

見ての通り、奥さんのジェーンさんとのラブ・ストーリーが軸です。

トレイラーは冒頭の部分が多いので、キラキラしていますが、映画本編は淡々としながらじんわり重いです。

スティーヴン・ホーキングが患ったのは、筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう/ALS)。そう、去年、インターネットを席巻したアイス・バケツ・チャレンジは、この病気に対する啓蒙活動と、募金が目的でした。私は「目的はとてもいいけれど、やり方として適切かどうかは微妙」だと思ったのですが、ホーキング一家は賛成で、「自分は健康上の理由でできないけれど、3人の子供たちが代わりに被ります」というパフォーマンスをしていました。

博士は2回、結婚しています。ロマンティックな人なのです。ジェーンさんはとても強い女性で、彼女の強烈な愛情と意志が、なんども博士を救っています。おまけに、子供が3人。科学者として、世界的に有名になって行く過程と同時進行で、症状が悪化していきます。それを、カメラが言葉ではなく、ホー

キング博士を演じるエディ・レッドメインの視線や微妙な表情、動きを丁寧に追って、その辛さを表現するのです。

どんな状態になっても、ギリギリのところで希望を捨てないふたりがスゴいです。博士が持ち前のユーモアとチャーミングな性格で、周りの人を和ませるのも。

制作陣にとって難しかったろうと察するのが、出て来るほぼ全員が存命であること。どうやら、最初の家族と再婚/離婚した看護師さんのエレインさんは仲が良くないらしいのですが、そういうことも出て来ません。博士は無神論者で、当然、教会と軋轢があるハズなのも、あっさり描いています。

この「何を強調して、何を見せないのか」というのは、とても気になりました。単なる知りたがりもありますが、私も文章を書く人間の端くれとして、「知っていること、思ったことすべてを書くのが良いわけではない」のはわかっているので、その取捨選択の仕方を勉強したい、と思ったのです。

文章でも、書き過ぎて焦点がぼけたり、逆に言葉が足りなくて誤解を生んだりします。レゲエ・アーティストやラッパーの過激な発言は字数の関係で“補足し切れない”と判断したら、その言葉が目を引くのがわかっていても、切ることはわりと多い。話し言葉より、印刷した言葉の方がずっとずっとキツく響くので、たとえ本人の発言そのままでも、必要以上に強くならないように調整するのも、インタビュアーの仕事だと思っています(逆に、インタビューを受ける立場の人は、この法則を覚えておくといいかも知れません)。

ホーキング一家も、もっとドロドロした場面、修羅場があったと想像します。それを、短い台詞に集約して匂わせる手法で、脚本もとても優れていると感じました。とくに、恋愛模様は視点をどこに置くかでまったく話が違って来ますよね。この映画は、ジェーンさんによる、結婚生活を振り返った本をベースにしているそうですが、博士の見方も入っているようです。スティーヴン・ホーキングは出来にとても満足していて、後半のコンピュータによる話し声は、博士の提案で本物を使っているそうです。

博士が記した『My Brief History』も、昨年に出版されています。短い本なので、Kindleで読むか、本を購入するか迷っていたら、ネット上にpdfで全文出ていて、これまたビックリしました(許可を取っているか疑問なので、正規版を買います。読みづらいし)。

とりあえず、この本を注文して、「しまったちゃん」体験だったーーこれだけ印象に残り、考えさせられる映画に出会えたのは、もちろん幸運なことです。

ただ、タイミングが悪かった。今週末はちらっとラーメンを食べに行くのが精一杯な感じで、いまもなーんで寝不足になりながらブログを書いてるんだー、と思っていますーー『The Theory of Everything』は一度、頭の片隅に追いやろうと思います。

最後に映画にも出て来る、博士の有名な言葉を引用してみます。

However bad life may seem, there is always something you can do, and succeed at. While there’s life, there is hope. -Stephen Hawking, 2006

最悪だと思える人生でも、必ず何か出来ることがあるし、それを何とかやり遂げられるものなんだ。生きている限り、希望はある
ースティーヴン・ホーキング 2006年

“ホーキング博士の『The Theory of Everything(博士と彼女のセオリー)』” への3件の返信

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    ブログ読んで映画みたくなっちゃった。
    文章を書くことで気づく、書きすぎて焦点がぼやけるってことや、言葉が足りなくて誤解を生むことがあるってこと、「わかる、わかる」とうなづいてしまいました。
    あと、ホーキング博士の言葉も。 美奈ちゃんの投げた(投稿した)エサ(ブログ)に釣られて、映画、みにいってきます!

  2. SECRET: 0
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    映画いいですよー。
    文章は書く行為と同じくらい、推敲が大事ですよね。プロとアマチュアの違いもそこが大きいと思います。

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