「英国王のスピーチ」に見る主役体質/脇役体質

先日、「いいと思ったものに立ち戻る」と書いた時に思い出したのが最近、改めて観た「The King’s Speech(邦題:英国王のスピーチ)」でした。昨年のアカデミー賞で、もっとも栄誉ある作品賞と、最優秀男優賞を含む4冠を獲った作品なので、観た人、知っている人も多いかと思います。

主役のジョージ6世は、現女王エリザベス2世のお父様。女王が夏のロンドン・オリンピックで、ジェームス・ボンドと一緒にヘリに乗り込み、パラシュートで開会式に降り立ったのは記憶に新しいですね。もちろん、スタントですが、不意を突かれ、今年テレビを観ながら一番大笑いした瞬間だったかもしれません(NBCのアナウンサーのコメントも“Are you kidding me?(冗談でしょ!)”でした)。イギリス人らしいユーモアがギュッと詰まった演出で、86才でそれを引き受けた女王もすてきだなぁ、と思います。

話が逸れてしまいました。「英国王のスピーチ」の話です。内気で吃音があり、公務でもっとも大事なスピーチが苦手なアルバート王子/ヨーク公が、奥さんが探してきた実験的な手法を駆使するドクター、ライオネル・ローグ(あとで、資格がないことがバレますが)と一緒に障害を克服するストーリー。これは史実で、歴史の勉強もできる一粒で二度美味しいタイプの映画です。

<ネタバレ注意→>ハイライトは、兄のエドワード8世が有名な「王冠を賭けた恋」を理由にいきなり退位、国王になるつもりが一切なかったアルバートは大打撃を受けます。吃音の理由が心理的なものだと心得ていたローグは、治療を進めながら、乳母に折檻されていたこと、厳しく左利きの矯正をさせられたこと、X脚を治すために無理矢理ギブスをつけさせられたこと、それらを兄にからかわれたことなど、子供の頃のトラウマを本人から少しずつ聞き出して行きます。

吃音の原因になった出来事は過去のこと。変えようがありません。現状を変えるためには、心構えを変え、恐怖心を取り除かないといけないのですが、ローグに自分が抱える怖れを看破されたアルバートは、拒絶反応を起こして彼をクビにしてしまいます……。

王室の話ですが、できれば直視したくない過去の傷に向き合うのが難しいのは、誰でも同じでしょう。内気なジョージ6世を演じるコリン・ファースが葛藤を怒りでごまかすところから、徐々に問題を直視する勇気をつけていくまでを演じ切っているのが見どころ。あと、治療室のソファの後ろの絵や、ローグの家の壁紙、カメラのアングルなど、美術的に優れているのも気に入りました。

2度目の観賞で、主役体質と脇役体質について、あれこれ考えました。私が好んで使うものさしで、これにもう一つ、観客体質があります。だいたい、みんな日常生活でこの3つを使い分けていて、会社では脇役、家では主役、なんて人もいるかもしれないし、その場にいるメンバーによって立場を入れ替えることもあるかもしれません

ここから先は、職業としての「主役」の話です

音楽ライターとして多くのアーティストに接していて思うのは、彼らは強烈な主役体質であること。主役は孤独です。その孤独とプレッシャー に勝てる人だけが、主役を張る権利がある、と言ってもいいかもしれません(才能の有無も関係ありますが)。私は完全に脇役体質で、ステージの前で写真を撮っていたり、脇で仕事をしていたりというが心地よく、自分の「定位置」だと思っています。実は、大勢の人の前で話してもほとんど上がらない度胸もあるのですが、だからといってそれを使う必要はないのです。

ジョージ6世も生まれつきの脇役体質。だから、王位に就くのが決まった時に泣き崩れたのでしょう。一方、兄のエドワードは、典型的な主役体質。立ち振る舞いも派手、女性にもモテて、都合が悪くなったら持ち前のチャームでごまかすタイプ。その彼が、離婚歴のあるアメリカ人女性と結婚するために王座から降りたのは、ロマンティックな話ではありますが、あとで調べたら、退位して王室からつまはじきにされ、国民にも忘れられた存在になってから、主役体質が変な形で露呈しました。ドイツのヒットラーが彼と妻のウォリスの知名度を利用しようと近づき、彼らのエゴを満足させる厚遇をして、取り込もうとしたのです。イギリスとドイツが一触即発の時期に、ウィンザー公であったエドワードと派手好きな妻とのこのこドイツを訪れて、ナチスの総会に出席したそうですから、主役体質であっても、国王の器ではなかったのかもしれません。

私が面白い、と思うのは、運命が体質をひっくり返すケース。ジョージ6世はまさにそれで、rise to the occasion、 戦争が始まってから、吃音をほとんど克服し、真摯なスピーチで国民を励まし続け、ロンドン空襲の際も「市民を置いて自分たちだけ逃げるわけにはいかない」と、避難を拒否したそうです。様々なムリが祟って56才の若さで亡くなってしまいましたが、その時には国民からとても慕われていました。

ラッパーのモス・デフも人前で話すのが苦手で、それを直すために演技を始めたところから、MC/俳優の道が拓けたそうです。私の知り合いでも、すっごいシャイで、ちょっとキワドいジョークを言おうものなら、赤くなってしまう人がいました。その彼が、自分でリリックを書いて、歌うのを知った時は、心底びっくりしました。この目で歌っている姿を観た時は、軽く感動さえしました。

これは、脇役体質の中に本物の才能が眠っていて、それが表に出た時にドラマが生まれた稀なパターン。 最近は、目立つためなら何でもする人が多い気がします。リアリティTVなどで素人有名人が大量に出たせいもあるでしょう。必ずしも悪いことではないですが、自分の元々の体質は把握しておいた方が後々困らないのでは。何がなんでも主役になろうとする前に、プレッシャーや重責、スポットライトから外れた時に凹まないだけの強さがあるのか…そこまで考えてから行動した方がいいように思うのです。

話を映画に戻すと、ジョージ6世には、お妃のエリザベス・ボース・ライアン(なんと、101才まで生きたそうです)と、ローグの名脇役がついていたからこそ、主役を立派に務め上げられたのかな、とも思います。

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