NYでバーテンダーになろうと思った話 Pt.3

私は「同じ時間に同じ場所に続けて行く」というのが、けっこう苦手。学校や職場はどうするんだ、という話ですが、大学のときは、カリキュラムによって登校時間が違うので大丈夫だったし、編集者をやっていたときは、夜遅くなったら翌朝はゆっくりで良いのが気に入っていたし、とにかく毎日が違えばいいようです。

それでも、今回は5日間だけだったせいか、ちゃんと「同じ時間に同じ場所に続けて行く」ことが出来ました(って、当たり前のことを威張ってどうする、と自分で突っ込んでいますが)。

朝の通勤電車も新鮮。ちなみに、NYでは満員電車ではありえません。初日、クラスが始まる15分くらい前に着いたら、先に来ていたのは一人だけ。基本的にコンビで練習するのですが、珍しく「早く到着組」に入った私は、このシェーン君のやる気を買って、ずっとチームで練習することに。シェーン君は精神分析医を目指したものの、地方の大学にあと3年いるのが耐えられない、との理由で、地元のNYでバーテンダーのアルバイトをしながら学業を終えることにした人なので、気合い十分。おまけに、この23才のオール・アメリカンな男子は、以前知り合いのレストランでバーテンダーをひと夏やっていた経験者で、教えてもらうことの方が多かったです。一日だけ、「医者の予約がある」との「ホントかよ」な理由で片付けをサボった以外は、とてもいいパートナーでした。

インストラクターはもちろん、バーテンダー経験者。私が当たったフォレストさんは、ゆるーい感じで良かったのですが、ゆるすぎて昼休みも長め、5時に終わるはずが4時過ぎから片付け始めて4時半に終わってしまうので、実質1日6時間練習するかしないか、というのは、ちょっと不満でした(←めっちゃ日本人ですね)。

クラスの内容は、ハイボール系→オン・ザ・ロック系→マティーニ/マンハッタンのクラシック・カクテル系→マルガリータ、ロングアイランド・アイスティーなどのシェイク系→ショット系などをレシピを学びながら、間にお酒一般の講座とビール・ワイン講座、バーテンダーの心得、レモンやライムなどガーニッシュの用意の仕方、レジスターの練習などを挟み、なかなか充実していました。

卒業試験は、お酒の常識を問う筆記試験と、6分で20種類のドリンクを作る実技試験。えー、まじで? と思いながら、最初の4日間はフラッシュ・カードを作って電車の中で勉強するなど、受験生もどきな気分に。飲み物は各銘柄のボトルに入った水と色水、氷で作るのですが、作業そのものは面白かったなぁ。腕相撲をすると連敗するような、肘から下の力が足りないタイプ(ボールは遠くまで投げられるので、たぶん、上腕は強い。つーか、太い)なので、初日は色水がギリギリまで入った瓶を持ち上げるたびに、「て、手首が痛いし!」とパニクっていたのですが、すぐに慣れました。

赤、オレンジ、黄色、緑、茶色と揃った色水で両方の手の平がパレットみたいになるんですよね。最初は面白がって笑っていましたが、水曜日にお風呂のあとも完全に落ちてなくて、焦って除光液でふきました。初日に真っ白いセーターを着て行ってしまい、袖口に付いた色が完全に落ちるまでクリーニング屋さんに2回も出さないといけなかったのは笑えず、自分に腹が立ちました。

一番、興味深かったのが、半日のクラスと合同だったお酒の講義。私みたいに「下戸だから絶対にアル中にならない(というか、なれない)」という人は少なく、お酒が好きだからバーテンダーになるケースが一般的なので、どう見ても「酒飲み for life」なインストラクターふたりはなかなか熱心に講義してくれました。

大まかに言って、世界にはウォッカ、ジン、ラム、ウィスキー、テキーラ、ブランディ(&コニャック)、ワイン、ビール、リキュールくらいしか種類がない、というのが分かったのは、勉強になりました。もちろん、人類の歴史と同じくらい長く存在するものだから、奥が深いのも事実ですが。ちなみに、日本酒はワインの最後にきちんと出て来ましたよ。

要は、気の利いた名前をつけて、飲む人のイメージ作りをして、ストーリー性を高めて売られているのが、お酒(マーケティング、とも言いますね)。お酒を売る商売が儲かる仕組みが、分かったような気も。どうりで、必殺商売人のジェイ・ZやP・ディディがウォッカやラム(もどき)を作っているワケだぁ、などと勝手に納得しました。

バーテンダーをやるより、お酒のマーケティングを考えた方がお金になるかも、とちらっと、夢想したのは、お調子者の私です。

あと、私みたいに強くないのに、お酒自体は好きで、量が飲めない分、失敗したくない人向けのカクテル・レシピの本も、楽しいかも知れないですね。

続く。

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