差別について私が知っている2、3のこと

5月25日にミネアポリスで起きた、元警察官のデレク・シャービンと他3名がジョージ・フロイドさんを、圧死させた件で全米が紛糾し、世界中が注目しています。駆け足ながら、今回の事件の背景をまとめた記事も多くの人に読んでいただき、ありがとうございます。11日が過ぎた現在も、各地で抗議運動が続いています。人が集まることについてはいろいろな意見があるでしょうが、取り囲んで加担した3人も逮捕、起訴されたので、やはり効果はあったのではないでしょうか。... Read More

ASAPファーグ&ティファニーのすてきな企て

日曜日にMacBookのデスクトップの整理をしたらー。書きかけのブログが11もあったぜ! その中から比較的、新しくて前向きな話を。 私はチキン派なので(ダブルミーニング)、ビーフとか食傷気味です。 まずは、こちらをご覧いただきましょう。 ティファニーの新しいキャンペーンにASAP ファーグと女優のエル・ファニングが起用されて、不朽の名曲「ムーン・リヴァー」をカヴァー&リミックス。 「ムーン・リヴァー」は言わずもがな、1961年の映画「ティファニーで朝食を」で、オードリー・ヘップバーン扮するホーリーが歌った曲。映画のテーマソングとしてオスカーを獲得しただけでなく、翌年のグラミー賞のレコード・オブ・ジ・イヤーとソング・オブ・ジ・イヤーをダブル受賞。56年(!)の間に何百回とカヴァーされています。今年に入って、フランク・オーシャンもカヴァーしていますね。曲の雰囲気と儚げな彼の歌声がマッチしてすてきです。 エルちゃんも負けてない。オードリーと同じ、女優さんらしい表現力でグッときます。このヴィデオの冒頭も、イエロー・キャブが映った後でティアラをつけたヒロインが登場、手にコーヒーを持っているあたりが、映画へのオマージュになっています。さすがに、ジバンシィのリトル・ブラックドレスは着ていませんが。ヘップバーンの代表作のひとつに「ファニー・フェイス」(邦題「パリの恋人」)がありますが、彼女は正統派美人で、エルちゃんこそファニー・フェイス系。表情がころころ変わって愛くるしい。 これ、ティファニーの新しいデザイナー、リード・クラッコフの新しいシリーズ「ペーパー・フラワーズ」シリーズのキャンペーンCM。エル・ファニングがひらひらと見せびらかしているのが、それです。 NYタイムズの記事によると、ASAPファミリーから一番有名なロッキーではなく、ファーグに白羽の矢が立った理由がすてき。「ハーレム出身でティファニーの本店があるニューヨークのイメージに合うこと、そしてお父さんが服飾関係の仕事をしていたこと」だそうで。 つまり、ティファニー側は、ハーレムのファッション文化に敬意を表したんですね。ティファニー本店がある5番街の真ん中から、ハーレムの目抜き通り125丁目まで地下鉄の快速に乗れば10分くらい。でも、その間にはなかなか越せないふかーい溝があります。
ファーグさんもパリッとしてます、彼女さん?奥さんがすっごい美人ですね。
ファーグも「ミッドタウンの高校に通っていたから、毎日のようにティファニーの前を通っていたけど、別世界だと思っていたから足を踏み入れたことはなかった」、とコメント。お披露目パーティーにはナオミ・キャンベルやゼンデイヤのほか、ダッパー・ダンも顔を見せたそう(彼に関しては、友人のエドウィン・スタッツのQの記事がめでたく訳されたのでリンクを貼りました。エドはかなりのレゲエ・ヘッドです、ちなみに)。 ティファニーといえば、最近、ちょっとおもしろいことがありました。叔母から生前形見分け? という理由でもらったエメラルドとダイヤのブレスレット、金具が古いタイプだったため外し方がわからず、ネットで調べたら、なーんとティファニー!!! のコピー商品だったんです。いやー、笑った。ティファニーのコピーとか、めっちゃヒップホップ。石は本物だし、ガンガンつけようと思います。気が向いたら、そのうち写真をアップしましょう。 ところで。ASAPロッキーの新作「Testing」、本人&ヒップホップ全体の新境地に到達していて素晴らしい。いまも聞きながら、これを書いてます。ロキ太郎への愛もそのうち、記したいと思います。たぶん。... Read More

書評『NYの「食べる」を支える人々』

何を食べるか。どこで食べるか。誰と食べるか。 食事に関するあれこれを「楽しい」と感じるか、「めんどう」と感じるかで人生の捉え方そのものも変わってくるように思います。 食べることに対して雑な人は、生き方もどこか雑な気が。と言いつつ、私は準備が丁寧すぎたり、贅沢すぎたりする人もかみ合わない。その塩梅がピッタリ来る人は、貴重な存在。 1年半前、ニューヨークのレストラン・ガイド『ニューヨーク・フーディー』を出版しました。取材は、2015年の冬から2016年の春にかけて。一番、時間と手間をかけたのが、取材先の店選び。取材そのものは一気呵成にやり遂げました。その半年にも満たない時間で舌が鍛えられ、カロリーと体調の関係(肥えました)、サーヴィスと味の関係など、いろいろな角度で外食を考えた結果、たどり着いたのが「店選びは妥協してはいけない」という結論。 長く続いているお店は長く続いているだけの、人気爆発のお店は列になるだけの理由があります。例外。テレビでプッシュしたお店がいまいちなのは日本もアメリカも同じ。 少し前に、『ニューヨーク・フーディー』の似ている本を並べる、という店頭展開があり(出版社さん、ありがとうございます)、そのとき、この本に出会いました。 『NYの「食べる」を支える人々』。フィルムアート社刊行。 著者は、気鋭のノンフィクション作家、アイナ・イエロフさん。訳は、石原薫さん。綿密なリサーチと取材をもとにした、ずっしりとした本です。とはいえ、シリアスではなく、オーナー、シェフ、ウェイター、席まで案内する係(超人気店では重要なポジション)の話を掘り下げ、ニューヨークの食事情がわかる仕掛け。タイトル通り、「人」にフォーカスしています。一流どころのシェフだけではなく、刑務所で囚人のための食事を用意する人まで多岐に渡ります。前半は、世界各国から移住し、皿洗いからスタートして頂点まで上り詰めた人の話が多い。レストランの仕事は、労働時間が長く、きついです。「好きでないと続かない」という言葉がなんども出てくるように、適性がなければ続かない。 紹介されているお店(施設)は50弱。『ニューヨーク・フーディー』と重なっているのは系列も含めて5つだけ。私が行ったことがあるところは、16カ所(刑務所のカフェテリアには入れないですし)。テーマが被っているわりには、少ない感じがしますが、ニューヨーク市には1万の飲食店があるのだから、高確率かと思います。移民が持ち込んだ故郷の味をコアの部分は守りつつ、素材や料理法をアップデートして(健康的にして)広まっているのが、ニューヨークの食の醍醐味。僭越ながら、私もその部分を伝えようという意図がありました。イエロフさんのこの本は全編、その話です。 この本は、ニューヨーク好きの人はもちろん、板前さんやシェフ、飲食店の経営者の方にぜひ読んでほしいです。国や文化を超えて、すごくわかる部分があるはず。巻末の用語説明も勉強になります。 おまけ。ゴールデンウィークから夏にかけて、ニューヨーク旅行に行く方には拙著『ニューヨーク・フーディー』をおすすめします。電子書籍もあります。 本物はだれだ!  ... Read More

2018年ブルーノ・マーズ&ビヨンセ観察記

「仮に、1曲も知らなくても絶対に楽しめるステージを見せるアーティストが、ビヨンセとブルーノ・マーズ」と私は常々、言ってきました。そのふたりのパフォーマンスをライヴとストリーミングで見られた2018年4月第2週末、贅沢でした。 4月14日、人生3回目のブルーノ・マーズのコンサート。日本で観るのは初めて。チケットを取るまでが大騒ぎで、初めて乗った電車が大幅に遅れて車内が殺伐となったこともあり、さいたまアリーナに到着したときには、すでにぐったり。でも。ベースボール・シャツに身を包んだブルーノが“Finesse”と歌い始めたときに、疲れもぼっち参戦のつまらなさも吹っ飛びました。私は『Unorthodox Jukebox』の方が『24 K Magic』より4割り増しで好きなので、前回、ブルックリンで観たときの方がわれを忘れる感じがありましたが、それでも、踊るは歌うわ大騒ぎ。最初に、不満をふたつだけ。ミュージシャンのNBAのユニフォームのサイズ感がおかしい。あのピッタリ感は、選手に見えてしまう。90年代ファッション(街着)をイメージしているなら、オーバーサイズ気味にしてほしかったわー。それから、相棒のフィリップ・ローレンスがいなかった。なぜ。なんで。アリーナ後方から目を凝らして探しちゃったじゃないか、フィリップ。
(左からふたりめがフィリップさん。2016年のスーパーボウルのハーフタイム・ショウ。iPadで思わず撮った間抜けな写真)
  『24 K Magic』は1ミリの隙もない、シームレスなアルバムです。初めて聴いたとき、80年代後期〜90年代初期のR&B、テディ・ライリー/キース・スウェット/ボビー・ブラウン/ベイビーフェイス+α全体をジャックしていて「そう来たか!」と驚愕しつつ、あ、これはあの時代に衝撃的だった、ディスコではなくヒップホップもかかるクラブ向きのR&Bをそのままそっくりステージに持っていくための作品だな、と合点が行きました。 もともと、古い音楽の要素を取り入れるのが上手なブルーノが、さらにわかりやすい形で特定の年代のスーパーヒット曲の要素をリメイクしたのが、セカンドからのシングル、“ Locked Out of Heaven”でした。80年代のニューウェイヴをもっと黒くしたような音で、ブルーノ本人は「ポリスを意識した」と言ってましたね。私はザ・パワー・ステーションぽいな、と思いました(調べてねー)。それから、マーク・ロンソン名義の“Uptown Funk”で70年代に遡って爆発。「俺らの“Oops Upside Your Head”に似ている!」とチャーリー・ウィルソンさん率いるギャップ・バンドの面々に怒られてクレジットを直す1件はあったものの、見事に2016年のグラミー賞のレコード・オブ・ジ・イヤーを受賞。 思い返せば、この辺りでサードアルバムの方向性が固まっていた可能性が高い。でも、私はボケーっとセカンドアルバムを聴き込んでいました。それもあって、ライヴで圧巻の歌声を着替えた“Treasure ”と、バラッドの“When I Was Your Man”が一番、響きました。“When I Was Your Man”みたいなストレートすぎる本音を、そのまま歌うブルーノが好きなのです。「俺が君にしてあげるべきだったこと、新しい彼氏がちゃんとしてくれているといいけど」って。 失恋して男を上げる稀有なタイプ、ブルーノ・マーズ。 ああ。セカンドとサードで は音楽性よりも描いている男性像が変わっているのが、大きいかもしれません。『24 K Magic』に出てくる男性は上から目線でモテモテイケイケで、ええ、こうやって書いても気恥かしいほどの、ちゃらい人。セカンドまでは、一途な恋愛ソングが多かったのにね。「変わっちまったな!ブルーノ!!」と内心。そういえば、アリーナのスタンディングにはそういうタイプがちらほらいたかな。最後はピュア時代の“Just Way You Are”で締め。なんだかんだアメリカも整形美人が勝ち上がっている昨今、「どこも変えないで/そのままで完璧だから」と歌うこの曲は、シンプルなようで勇気と男気に満ちています。 映像中継のビヨンセ・イン・コーチェラ、ハッシュタグ的にベイチェラについてもちらっと。同時中継で見たのは半分だけ。それでも「世紀のパフォーマンス」 であるのは、登場時にすっと了解できました。ヌビアン・クィーンやブラックパンサー風といった今まで何度か見た出で立ちに加え、「黒人大学のチアリーダーかと思いきや実は学長」という新たな設定が加わって、2016年『Lemonade』以来、ひたむきに黒人性をより強調してきた方向性が、ひとつの完結を迎えて、すばらしかった。
(これもスーパーボウルのとき。実はコールドプレイの時間だったんですけど。クリス・マーティンさんへの好感度が上がりしました↑ エゴがない人だわー。コーチェラでビヨンセの応援をしているようで、結果的に邪魔をしたリアーナちゃんは見習ってほしい)
  歌唱力、ダンスの切れ、美貌、計算され尽くした衣装。 ビヨンセは、ここ2年でマイケル・ジャクソンと肩を並べました(当社比)。 『Off The Wall』や『Thriller』ほどの超絶傑作、ゲーム・チェンジャーとなる作品は、まだ作っていません。一方、マイケルのようなスキャンダルも、整形依存のような弱点もない。ビヨンセに必要なのは、クィンシー・ジョーンズみたいに総合力のあるプロデューサーかも。Don’t get me wrong、『4』も『Lemonade』もすごいアルバムですよ。ただ、『Off The Wall』と『Thriller』は、万里の長城みたいな、ピラミッドのような、「どうやって作ったの、それ 」と見上げるしかないアルバムなので。作品の真の偉大さは時間が証明するので、ビヨンセにはまだ時間があります。 ビヨンセは、旦那のジェイ・Zとともに「Bay-Z大会社」とも呼べる鉄板のビジネス形態を築き上げ、おそらく、テレビ局やグラミー賞よりも重要で力のある存在です。無敵。ものすごーく頭のいい人たちだから、大金持ちで天才、すべてを持っている姿を見せるだけでは反感を買うのはわかっていて、ちょいちょいリリックやドキュメンタリーで「悩んでいる、フツーの私たち」を伝えてきます。その悩みは、本物でしょう。ただ、存在としてすでに「超人」の域に達している。共感したり反論を唱えたりする相手ではなく、ひれ伏すのみ。 私が大好きだった、怖いくらい美人で太ももが立派すぎる、冗談が通じないところがおちゃめなデスチャのビヨンセは、もういない。それがよくわかったパフォーマンスでした。畏敬の念を覚えながら、興奮しながら、どこか寂しさを感じる時間でもありました。いまのビヨンセには、ブラック・パワーと歌の力で世界を少しでもまともな方向へ揺り戻す、という使命があり、本人もそのために全身全霊でパフォームしています。もう、世界を救うのはワカンダ人かビヨンセか、というレベル。 超人でありスーパーヒーローであり、その分、現実味もない存在なのです。 これからは、ブルーノとビヨンセの両巨頭を素直に見上げて生きていくことにしましょう。いや、それしか残された道はない。ラーメンをすすって曲を書いていたブルーノと、2回もメジャーデビューをつぶされて必死だったビヨンセ(とディステニーズ・チャイルド)の若かりし面影を心の片隅に抱きながら。... Read More

Sounds of Blacknessって知ってる?

ビルボードライブTOKYOでサウンズ・オブ・ブラックネスを見てきました。 決して派手ではないけれど、いまのブラックミュージックの屋台骨を支える重要な大御所、かつ大所帯のグループです。ゴスペルを土台に、リズム&ブルーズ(あえて)やファンク、一級のポップスまで聴かせるスタイル。半世紀近いキャリアがあり、アルバムをリリースした90年代からは全世界で活躍しています。 ブルックリンのフリーコンサートで見た時は、「ハレルヤ!」色の強い、黒人教会からそのまま出てきたようなステージでした。お客さんも教会の文化をよく知っている人たちだから、一体感がすごかった。私は少し、疎外感があった覚えがあります。 六本木でのステージはもう少しこなれていて、「Hold On,」、「Africa to America」といった自分たちの代表曲から、スライ&ファリミーストーンやプリンス!(さて、どの曲でしょう。プリンスの曲はハイライトなので明日行く人のために伏せておきます)の曲まで。7人のバンド、8人のヴォーカル、兼任ひとりという贅沢な布陣で、黒人音楽に詳しい人はもちろん、あまり知らない人も楽しめるステージ。 特筆すべきは、(ほぼ)メインヴォーカルのジェームシア・ベネット。ほぼ、と書いたのは曲によってリードを取る人が変わるから。ジェームシアは、アン・ネスビーさんの娘さんなんですね。アン・ネスビーはサウンズ・オブ・ブラックネスの元ヴォーカリストにして、ソングライターとしても有名。グラディス・ナイトやパティ・ラベルへ曲を書いています。それから、ビヨンセが出演したゴスペルを題材にした映画「ファイティング・テンプテーションズ」の原案者でもあります。 ジェームシアさんに話を戻すと、とにかくその迫力ヴォイスがすごい。ほかのヴォーカリストとの掛け合いもすばらしいので、明日、行ける人はぜひ。 それはちょっと難しいかな、という人は「ファイティング・テンプテーションズ」を週末に観るのもいいかな、と思います。 もう15年も前の作品なんですねー。ビヨンセ若い。  ... Read More

R.ケリー、またやらかしています。

「R.ケリーが18〜26才の女性たちとカルトみたいな共同生活を送っている、とのレポート。違法性はないけれど、女性たちは洗脳状態で、そのうちひとりの女性の親御さんが闘っている、と」 1週間前につぶやいたところ、 インプレッションが13万近くになりました。ザックリ言って10万人以上に届いたので、責任を取りますね。このニュース元は、BuzzfeedのUS版。インターネットの記事とはいえ、きちんと取材して信憑性が高い。ライターのジム・デロゲィテスさんはR.ケリーが示談にした00年代の数多ある事件からレポートしているそうで、執念を感じます。 「カルト」「洗脳」などと強めの言葉を使ったせいで誤解があるといけないので、バズフィードの記事の要約をします。日本版に全訳が出るかなー、と思ったのですが、日本版には日本版のカラーがあるみたいで、ここまでドロドロした記事は載らないかも。 ソース元は、R.ケリーの側近3人。 4−5人の女性がジョージア州にあるゲストハウスに分かれて住んでいて、彼の許可が下りると シカゴのスタジオに移るそう。 住んでいる女性たちの内訳です。 ・31歳の「監督役」の女性。彼女が新入りを性的にどう悦ばすかトレーニングをする役目。この監督役は08年のセックステープの女性の親友で、最近になって、彼女はR.ケリーの元を去った。 ・25歳の女性。R.ケリーの元には7年いる。 ・最近加わった19歳。ゴシップサイトに彼と出かけているところを珍しく撮られた。 ・09年からR.ケリーと付き合っているアトランタのソングライター。現在26歳。 ・18歳のフロリダ出身女性。現在のお気に入り。 携帯電話はR.ケリー本人と連絡を取る時のみ使えて、それ以外は許可が必要。外出も許可が必要。体の線が出ないジョギングスーツを着せられ、室内にほかの男性が来ると顔を見せないように後ろを向くのが決まり。   うーん、ドラマみたいな設定です。ふつうにやばいですが、女性たちが18歳以上なので違法ではないです。未成年に手を出して何度も捕まりそうになったので、そこを避ければいいのだと学習してしまったよう。 はじめにニュースを知った時は、プレイボーイ・マンションのヘフナーさんみたいにプレイメートの皆さんと華やかに暮らしているのかと思ったのですが、もうちょっとダークな印象です。 娘を救出しようと動いた親御さに対して、当の娘はテレビ番組のビデオ取材に応じてメッセージを送りました。 「私は大丈夫。カルトじゃないし、恥をかかせないでほしい」 とはっきり言ったものの、住所と「自由があるのか」という質問には答えませんでした。 なんだかなぁ。 大丈夫なら、まず、お父さんとお母さんに連絡しようよ。 R.ケリーが天才でど変態なのは事実。でも、アメリカって才能がある人がギリギリの線をやらかすことに対して寛容なんですよね。 何度もインタビューして、コンサートも10回以上見ているので、R.ケリーのことは詳しいし、いろんな思いが交錯します。 見守りつつ、また報告します。... Read More

ウサイン・ボルトと3回遭遇

日本で観るオリンピックは、とても新鮮でした。   自国が強い競技を中心に放映するのは、どこも同じ。でも、アメリカは日本の比ではないくらい偏っていたように思います。まず、そこまでオリンピック一色にならない。一般的には野球、バスケ、アメフトの3大スポーツの方が関心が高く、そのまま競技を流しても高い視聴率を望めないのか、妙な盛り上げ方をします。放映権も、日本のようにばらさないでNBCが独占しています。   他局のドラマやリアリティ番組に対抗するためか、それまでの成績を元に、決まった競技の決まった選手を中心にストーリーを作り上げて、変なドラマ仕立てにする。開幕前の特番ならわかるのですが、会期中でも競技の中継時間を削って『アメリカン・アイドル』ばりにその選手の生い立ちを紹介します。先のロンドンでは、女子の体操がそうでした。そのドラマで「脇役キャラ」を与えられていたギャビーことガブリエルちゃんが大活躍したものだから、慌てて筋書きを変えてなんだか白けたのをよく覚えています。今年も身長145センチのシモーネちゃんが活躍したようですが、日本で体操といえば男子しか話題にならないので、きちんと見られなくて、残念でした。   日本人選手の活躍ももちろん見たいけれど、純粋に世界のトップクラスの戦いぶりを淡々と映す番組があってもいいと思うのですが、どうでしょう?   あ、例外が一人いますね。スーパースターのウサイン・ボルト選手。   ウサイン・ボルトの個人金メダルは想定内として、400メートルのリレーではぐっと来ました。アサファ・パウエルやヨハン・ブレークら、キャリアの長さが近い盟友たちと走り切って、みんなで有終の美を飾った気がして。アサファ選手もたぶん最後。ボルト選手の前に「世界最速」の称号を持っていたにもかかわらず、ずっと運がないイメージだったので、最後は団体とはいえ金を手にできてよかったです。   ボルト選手は、3回見ています。最初は、ニューヨークでプーマのサイン会。すごい人だかりになって、入場制限がかかっていました。イベントのDJ(レゲエだからセレクター)が友達だったので潜り込めたけれど、さすがにサインは遠慮しました。飄々とした雰囲気の人でしたよ。サインに飽きたら真剣な顔でスニーカーを試していたのが印象的でした。2回目はキングストンの競技場で。走るところは見られなかったけれど、遠目で見ても体がしなやかなのが見て取れました。3回目は、空港。ほかのジャマイカ人より一段を黒光りしていて、練習量がすごいのだろうと思った記憶があります。そうそう、キングストンにか彼が関わっているトラック&フィールドというレストランがあります。   ジャマイカの血が入っているケンブリッジ飛鳥くんと並んで走ったのも見ものでした。ジャマイカに住んでいる、日本人の友だちの多くが飛鳥くんを知っているそうで、話を聞いていたので、親近感があります。 ジャマイカの国の大きさを考えたら、陸上競技であれだけ勝ち続けるのは驚異的です。   その理由を、2014年に出版した『まるごとジャマイカ体感ガイド』に書いたので、興味のある人はチェックしてみてください。  

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寅さんと、『コンビニ人間』

『ニューヨーク・フーディー』の発刊準備で鬼のようにメールを打ちながら(いよいよ明日です)、歯医者さんに行ったり、ダイソーの品揃えにクラクラしたり、変な日本人として楽しく生きています。   アメリカにも99セント・ショップあるけど、品物の7割が「安かろう悪かろう」だから、決まったものにしか手を出せません。   その間、先の芥川賞受賞作『コンビニ人間』を読み、『男はつらいよ〜柴又慕情』を母と観ながら大笑いしました。   どちらも、社会の「ふつう」からはみ出した異端の存在が主人公。 結婚しない(できない)、家族に半分諦められている、でも基本的に自分を肯定している、との共通項はあるものの、40年もの月日で日本を代表する「はみ出し者」はこうも変わったか、とびっくりするくらい正反対。 一番大きな違いは、『コンビニ人間』の古倉さんは他人に興味がない。すべてに醒めているけれど、彼女の関心ごとは自分がどう見られるかだけ。自分、自分、自分。   一方の寅さんは、頼まれもしないのに人の世話ばかり焼いています。そして、自分の気持ちを押し殺して、おきまりの失恋パターン。   車寅次郎ワールドはザ・昭和だから、わかるかわからないかは世代差の問題だけれど(寅さんで大笑いできる10〜20代っていいな、とは思います)、『コンビニ人間』は、世代問わずほとんどの人が「現代を鋭くえぐり出している/現実的」との論評。   どうしよう。   私は、それがわからないのです。カリカチュアというか寓話だと捉えて読んでしまった。   小説としては、おもしろく読みました。「何がふつうなの?」という問いかけと、ふつうから外れた場合の息苦しさも伝わってきた。でも、あんなに紋切り型の「ふつう」な人たちって、それほど多いかな? ほかの人の生き方に口を出す人ってそれほどいないような。主人公が感じるプレッシャーは、「世間の常識」にこだわる自分自身がかけている気がしました。   作者の伝えたいことをはっきりさせるためだけに出てくる人々が多いのが、寓話っぽいと思った理由。   それより、極端なケースとはいえ、古倉さんみたいにマニュアル通りに動ける人の方がずっとたくさんいると思う。感じ方が少数派なだけで、彼女はいたってふつうだと私は思いました。内面と言動のズレも、多かれ少なかれ、みんな抱えている。どこに出かけても、歯医者さんの椅子に座っていても、私は「マニュアル通りの言葉」にしか出会わない。それが、いまの日本の「正しさ」であり、「ふつう」だもの。   フーテンの寅さんは、昔の不良のステレオタイプではあるけれど、マニュアルが全く通用しない自由人。時代が交差したとして、古倉さんと寅次郎で会話が成り立つか不思議です。  

 過度なマニュアル化が、日本人を100均の品物みたいに均してしまった。‥って月並みな結論だけれど、まぁ、そういうことなのでしょう。... Read More

変な日本人シリーズ

「ここが変だよ、日本人」という、よくありがちな外国人目線で日本人の特徴をあげつらう内容ではありません(あれ、だいたい上から目線なのが気になります)。 変なのは、私。 昨日と今日だけでもね。 ノートを買いに、ドラッグストアーに入りました。何に使うかわからない高性能(?)な日用品はあるのに、ノートは売っていませんでした(だって、アメリカのドラッグストアーは文房具があるから。逆に言うと、気の利いた可愛い文房具はどこにもないからこだわる必要なし)。 歯医者さんで靴を脱いでスリッパを履く、という一連の作法を忘れ、素足にスリッポンで行って入り口で青くなりました。「次の人、いやだよなぁ、でも土足では入れないし」と逡巡していたら、目の前に「使用済みスリッパボックス」があって、ビビりました。靴下を履いていても、スリッパは共有しないんですねー。前からそうでしたっけ? さっぱりした感じの女医の歯医者さんが、とても丁寧で感激でしたよ。アメリカの歯医者さんも腕は悪くないけど、あんなに細かく声をかけてくれません。 「さ〜、口開けて。もうちょっと頑張ろうか。はい、止まって」 からの、ガー、シャーシャー、ガガガ、キーンキーン、ぺっ で終わり。 銀行が3時までしか空いてないことに面食らったり(向こうはだいたい5時)、ミスドが飲茶をやっていたり(ドーナツをたくさん買ったらお弁当箱をくれるところで記憶が止まっています)、フードコートとあるのに座るところがなかったり(シロクマのサンドイッチを持ってうろうろしました。生クリームだから焦った)、「〇〇はどこにありますか?」と店員さんに質問すると、その売り場まで丁寧に付いてきてくれたり。 絶対に買うのならいいけど、迷っている時は付いてきてもらっちゃうと、「買わないと悪いかな」ってなりません? それから。押しボタン式の横断歩道の意味がわからなくて、「なんでずっと赤信号なんだろう」って5分くらい待ってしまった。多分、今までも押しボタン式の横断歩道に出くわしたときは、たまたま一緒に渡る人が押してくれていたんでしょうね。 外出のたび、「変な人だと悟られるな、頑張れ自分」と内心、ビクビクしています。 札幌も、暑いです。... Read More

NAHKIさんと、山口ナキーム君のこと。

日本のレゲエのパイオニア、ナーキさんの長男、ナキーム君が亡くなりました。 オフィシャル・サイトnahki.comのゲストブック欄での、ナーキさん本人の書き込みです(サイトは、モバイルに対応していないので、ご注意下さい)。 「息子のNakiim(享年21歳)が、統合失調症による一ヶ月の入院から退院後二日目の朝に当たる7月24日の朝に私たちの住むアパートで首を吊り亡くなりました。同じような病に苦しむ皆さん、生きて下さい! 彼のために書いた曲、Shine、Doing Alright、Love Child、ボクの勝ち、Future Kidsを繰り返し聴いています。」 ナーキさんは、80年代後半からマイクを握り、90年代にの日本人レゲエ・アーティストとして、たくさんの扉を開けました。英語とパトワが堪能で、ジャマイカのステージに立ち、ソニーからメジャー・デビューを果たし、全員ジャマイカ人の、ジェリー・ハリス&リディム・フォースをバックバンドに従えて全国ツアーを行い、鹿島アントラーズのチームソングや、JALのCMソングもラガ・マナーのまま、歌いました。 日本も音楽業界も元気な時代だったから、その活躍ぶりを最近のレゲエ・アーティストと比べるのは、難しいです。ただ、ひとつ強調したいのは、ナーキさんやランキンさん世代の絶対的に凄いところは、 「え? 日本人がレゲエやるの? 変なの」 と言われてしまう時代、曲の出来より違和感が先に話題になる状況で、堂々と前を向いてレゲエをやっていたことです。 ナーキさんはニュージャージーとジャマイカを拠点にしていたため、日本でしょっちゅう見たり、会えたりできるアーティストではなく、コンサートも特別感がありました。そのせいで下の世代のファンに名前が広がりづらかったマイナスもあったかも知れません。今回の件も、ジャマイカのレゲエ関係者が先に知っていて、私もジャマイカから連絡が来ました。 海外を拠点にしたのは、音楽面のプラスもあったかと思いますが、名古屋からニュージャージーに戻って来るのを決めたのは、ひとり息子のナキームのためも大きかったと思います。 ナキームは、ジャマイカでモデルをしていたキム(シャギーの“Boombastic”のヴィデオにメーンで出て来る美人です)との間に出来た子供で、ジャマイカ生まれです。小さいうちにナーキさんとふたりで日本に帰ることになり、ナーキさんはずっと男手ひとつで育てていました。 00年代は、自分のアルバム作りと平行してMegaryuなどのプロデュース活動も盛んにしていました。「10ヶ月で1年分の仕事をする」という約束を取り付け、日系の大手不動産会社で10ヶ月間働き、夏の2ヶ月を日本での活動に当てていました。たまたま、私の仲良しに、ナーキさんと同じオフィスで働いていた人がいるのですが、本当に約束通りに10ヶ月がっちり働いて、子育てもしていた、と言っていました。 ナキームは、小学校3年生でアメリカに来ました。土曜日の補習校で、私は5年生時の担任でした。これは偶然ではなく、その学校を始めた教頭先生が、ジャパンスプラッシュのプロデューサー、ソニー落合さんの古い友人だったため、先生と生徒に、何人かレゲエ関係者がいたのです。 ナキームはやんちゃだけれど、心根の真っすぐな子供でした。お父さんに似て、独特の存在感がある、カッコいい男の子でした。彼とは、強烈に覚えている思い出があります。一度、優等生のA君が、ナキームの肌の色のことで、冗談を言ったのです。絶対、言ってはいけない言葉でした。クラスメートは口々に「やめなよ!」と怒り、私も先生をやっていた8年間で一番くらい、激しく叱り飛ばしました。A君は、本当はナキームが好きで一緒によく遊んでいたこと、勉強でストレスを溜めていて、時々爆発してしまうこともよーく分かっていたけれど、自分も差別される側に回ることが多々あるアメリカにおいて、どんな状況でも、ほかの人を差別してはいけないことを伝えるのは、先生の、いや、大人の役割です。 A君は、みんなに責められて、逆ギレしました。言ってはいけないことを口にしたと、自分でも分かっていたのだと思います。泣きながら机の上のものを床に投げ出し、鞄の中のものを投げ出し、教壇にあった漢字のお手本カードも空に舞って、床に散乱しました。 カオスです。 その次に起きたこと。なんと、当のナキームが慌てて、ひとりでA君のものを拾い出したのです。彼は全然怒っていなくて、暴れているA君を気にかけていました。 「いま、完全に私が悪者になってるよね、これ」 と思いました。ナキームの様子にみんな拍子抜けして、なんとなくそのまま収束しました。 「僕のことで、みんなが大声を出したり、泣いたりするのは嫌だ」 と言っていました。その優しさに感心すると同時に、「こんなに優しかったら、生きていくのが大変なんじゃないか」とちょっと心配になったのを、よく覚えています。 リズム感も運動神経も抜群で、遊び半分でラップしたら完ぺきだし、修学旅行のキャンプでアスレチックがあったらクラスメートの3倍速で終わっちゃうし、ジャマイカの血が時々、見え隠れしました。そうそう、男子は基本、授業中以外は女子を呼び捨てにしている中、ナキームだけ全員を「○○ちゃん」と下の名前をちゃん付けしていました。それを、ほかの男の子がからかったときは、「だって、女の子はそう呼ばれた方がうれしいよねぇ?」とサラッと言っていました。あれは、全面的にナーキさんの血です。 小学校を卒業したあとも、落合家やハリス家でたまに会っていました。3年前、高校卒業を目前にしたタイミングで会ったときは、陸上で大学の推薦をもらえそうだったけれど、怪我をして難しくなった、と言っていました。 でも、特別変わったところはなかった。進路が定まらない中、日本へのラグビー留学の話が出て、しばらく行っていたそうです。ところが、長年やってきたチームメイトたちが、始めてから日が浅いのに異常に上手いナキームを妬んで、うまく行かなかったらしいのです。 統合失調症は、若い人だと進行が早い病気です。ナキームも行方不明になるなど、心のバランスを崩している様子がわかってから、入院が必要になるまであっという間だったそうです。薬で治る病気でもありますが、治癒までの第一段階、自分の心が病気になったことを認めて、きちんと薬を飲む、というところをなかなか突破できない人が多い。ナキームも、そこで負けて、自死しました。
  ナーキさんとナキームは、兄弟みたいな、双子みたいな父子でした。「ダダイ(ナーキさんのこと)が作ったお弁当が一番美味しい」が、ナキームの口癖でした。お葬式で、ナーキさんは気丈に振る舞っていて、「一緒にいた20年間があるから生きていける」と言っていました。心中を察すると、こちらも本当に辛いです。 私がナーキさんを尊敬している点は、日本のレゲエに大きく貢献したことはもちろん、人生の先輩として、とても謙虚な姿勢の持ち主だということ。一度、眩しいスポットライトを浴びると、なかなか切り替えができなくて、昔話を好む人もいるけれど、ナーキさんは絶対そういうことをしないし、威張らない。 シュガー・マイノットが亡くなったとき、ユース・プロモーションにいたナーキさんと一緒に、じゅんちゃん、ユミさんに連れられてお葬式や追悼ダンスに行きました。90年代を知るジャマイカのアーティストは、ナーキさんに会うとみんな、すごく喜びます。マイティ・ダイアモンズのメンバーが、暗い中、本人かどうか確認するためにわざわざ近寄ってきたことも。その時も、「ジャパスプの一番いい時間帯に歌わせてもらっていたじゃない? だから、俺をすごいスターだと思っているんだよね」と、自慢するわけでも、卑下するわけでもなく、淡々と言っていました。 ナーキさんの実力が分かる、2009年のアルバム『Ina Rub-A-Dub Stylee』のサンプラーを貼っておきますね。 ナーキさんのファンで、励ましの声をかけたい、と思われた方がいたら、オフィシャル・サイトのゲストブックを利用して下さい。ナーキさんは、Facebookはやっていません。お葬式の親友のスピーチで初めて知ったのですが、ナキームはSNSをとても嫌っていて、「直接、本人に語りかけるのが一番いいに決まっているじゃない」といつも言っていたそうです。正論です。そういう真っすぐ過ぎる性格も、生きづらくなる原因だったかも知れません。 直接の知り合いの方で(会ったことがある、くらいでもいいと思います)、メルアドは知らないけれど、メールを書きたい方は、私にご一報下さい。いまは、どんなに短い言葉でも励みになると思います。 長文になりました。最後まで読んで下さって、ありがとうございます。... Read More