The Weeknd 『After Hours』のヴィデオ観た?

The Weeknd の4年ぶり4作目『After Hours』の快進撃が止まりません。ビルボードのHot100にアルバムの収録曲ぜーんぶ(!)14曲がチャートインしている異常事態。アルバムチャートも当然、1位。日に日にサバイバル・モードが強まる今日この頃、彼の美声はとてもありがたい癒しだから、納得です。同じ3月21日にリリースされたChildish Gambinoの新作は全曲解説をきちんと書いたので、このブログは軽くThe Weekndが昨年の12月から順番に公開している連作ヴィデオをナヴィゲートしますね。これが、よくできたホラーなコメディ。そうそう、4月17日に発売される日本盤で、先行リリースされた3曲以外の歌詞対訳を担当しました。だから、まぁまぁ詳しいですよ。... Read More

ジョン・シングルトン逝去に想う

少し前に脳卒中で倒れ、昏睡状態だったジョン・シングルトン監督が亡くなりました。享年51才。タイリースとタラジ・P・ハンセンがお見舞いに行ったニュースがあったので持ちこたえたのかな、と思っていたのですが。生命維持装置につながれた状態で、家族がこれを外した、まだ外していないというニュースが昨夜、錯綜して私も亡くなったツィートを一旦、消して眠りにつきました。... Read More

映画『デトロイト』とケンドリック・ラマーのグラミー賞パフォーマンスをつなぐ線

50年前、デトロイトでの暴動中に起きた悲劇を描いた『デトロイト』を観たのが1月27日の土曜日。それから、1日半後にケンドリック・ラマーがグラミー賞のオープニングのパフォーマンスで話題をさらいました。 『デトロイト』で描かれていた出来事と、ケンドリック・ラマーが出番の最後で見せた赤いフーディーを着たダンサーたちを銃声とともに撃ち殺していくジェスチャーは、一本の線で結ばれています。 アメリカが抱える大きな闇、警察官による黒人男性への暴力と、それを野放しにする司法制度という消えない線。 公開中の『デトロイト』は、実話です。1960年代、自動車産業と音楽で盛り上がっていたミシガン州デトロイトで人種間の軋轢がひどくなり、店頭を襲い略奪するなど暴動が続く中で起きた実話をもとに、取り締まりを口実に私刑(リンチ)をした警官が有罪にならなかった顛末を追っています。『ハートロッカー』でオスカーを獲ったキャサリン・ピグロー監督らしく、カメラがグイグイと寄り、銃を突きつけられる絶望感が伝わってきて、すごい迫力。被害者に、後に“Whatcha See is Watcha Get”などのヒットを飛ばすドラマティックスのメンバーがいました。歌でアメリカン・ドリームを追うはずが、アメリカのシステムに裏切られるくだりは本当に切ないです。     楽しい映画ではありません。いや、とっても怖い映画ですが、「差別意識がないのだから、顔を黒く塗るブラッックフェイスは日本ではセーフなのでは?」という案件を先月、真剣に考えた人にはヒントになるように思います。 「なぜいけないか」を理論的に説明した文章はいくつかネットにあるのでそちらを参考にしてもらうとして、私はものすごくざっくり、感情的に(実際、この件を考えるたびに 緊張してぐったりします)、海外に住んでいる人が 日本の芸能人のブラックフェイスを見ると「ヒィーーーーッ」と恐ろしいものを見たような反応になるのか、書きますね。   それは、「無神経だから」です。   今、肌の色を変えて笑いを取ろうとする姿勢が、とてつもなく無神経に映るのです。「日本ではピンとこないだろうけど、差別つもりはないかもしれないけど、気を遣え」。これが、「ヒィーーーーッ」となる理由です。 「浜田雅功さんはエディ・マーフィーのマネで、エディ自身、肌の色を塗って他人種になっているのだからいいのではないか」という反論も目にしました。   ダメなんです。   エディ・マーフィーという人は、老若男女、肌の色や体型まで完全に変えて一人で何十人もの人を演じ分ける芸風で有名になりました。白人やアジア人にもなるのは、社会風刺のための手段。「こんなに化けられて面白いでしょ」という面もあるけど振る舞いや話し方まで含めて化けるから風刺になるのです。色を塗って終わり、とい単純な話ではないし、見ていて誰も不愉快にはならない。   ケンドリックの話をします。赤いフーディーは、2012年に黒いフーディーを被って夜道を歩いていただけで怪しい、と本物の警察官でさえない、自警団のジョージ・ジマーマンに撃ち殺されたトレイヴォン・マーティン事件に起因します。トレイヴォンくんは、17歳でした。ジマーマンは無罪になった上に、判決後は安全な場所に匿われました。この時、大統領だったオバマさんが「二人の娘を持つ父親として、とても悲しい判決だ」と言葉を選んで本音を伝えました。 この事件の後も、もう何十件も似たような事件が起き(Black Lives Matter/ブラック・ライヴス・マターで調べてください。その数の多さ、無慈悲さに戦慄します)、相変わらずポンコツな陪審員制度で警官はまず無罪になっています。「ブラック・ライヴス・マター(黒人の命だって尊い)」というキャッチコピーがついたおかげで最近のムーヴメントだと勘違いする人もいるようですが、ずっと続いているアメリカの暗部です。 私も2000年頃、ニューヨークにきて間もない人に「ブルックリンの警官は凶暴だと聞くから」と一緒に家まで歩いて欲しいと言われたり、同じ時期にアジア系の警官が目につくようになって、話したら「白人以外を積極的に採用しているんだ。まぁ、居心地は悪い」と言われたりしました。ずっと続いている問題なのです。 ここ最近は、暴動こそ起こりませんが、報復で警察官が殺される事件も起きています。平和を訴えるデモが起こり、そのデモに今度は差別主義者が割って入って衝突。トランプさんは「どちらも悪い」と大統領としてあるまじき発言をして事態を煽りました。 その絶望を映すのが、ケンドリック・ラマーのアルバムタイトル「Damn(ちくしょう)」であり、アートワークの虚ろな表情なのです。もちろん、それだけではなく、スターになった孤独、愛、宗教、自分の中の葛藤など、ラップしている内容は多岐に渡っていますが(前作の方がBlack Lives Matterを象徴する内容でした)。時代の気分をラップで的確に、詩的に切り取ったから、彼の4作目は高く評価されたのです。 日本には日本特有のストレスがあるし、この問題を親身になって一緒に怒ったり、海のこちら側から解決したりしよう、というのは偽善かもしれません。 ただ、無神経な振る舞いはやめないと。ハロウィンに黒塗りとか、完全にアウトです。 アメリカでは黒人の人だけでなく、すべての人種がこの問題を憂えています。だって、そうでしょう。罪のない同僚やクラスメート、近所の人が警察官に誤解を元に暴力を振るわれて、おまけにその警官は法に守られているため、似たような事件が続く国が自国なんてふつうの神経なら辛いです。   アメリカでは暴動が起きない代わりに、いや、起こさないように映画やテレビドラマ、音楽でこの問題に関するメッセージを含めた作品が次々に生まれています。話題作『スリー・ビルボード』(大傑作)も伏線の一つも、それです。アメリカのエンターテイメント作品に触れる機会が多い人は、あまり楽しくなくてもこの事実は頭の片隅に入れておいて、動向を見守ると理解が深まると思います。 昨日、正式に公開になったケンドリック・ラマーのパフォーマンスです。途中で言葉を挟むのは、90年代に一世を風靡した後、体調を崩して活動休止をしていたデイヴィッド・シャペルです。エディ・マーフィーをさらにエグくした芸風の人ですね。   キツめの文章におつき合いいただき、ありがとうございました。気分を戻せるように、ソウルフード・レストラン「Peaches」のブランチ・メニューの写真も貼っておきますね。 ... Read More

トレスポ世代。

トレイン・スポッティング、もといT2の話です。ネタバレバリバリ、というか、観た人が読む前提で書きます。 これから見る予定のある人は、読まないほうがいいかもしれません。 巨匠ダニー・ボイルの〜、とか、イカした4人組の〜、とか。エッジの効いた音楽と、スタイリッシュな映像と、絶妙の疾走感。そして、何よりも登場人物の外見のせいで「かっこいい」ことになっている作品だけれど、私は、昔もいまもトレスポは、 「ジャンキーの青春残酷物語」 だと捉えていて。赤ちゃんのシーンは、軽くトラウマになっていて。一番、マジメだった仲間の死に方もひどいし(演じた俳優さんは「グレイズ・アナトミー」でかっこいいお医者さんを演じていますね)。 21年前の公開当時、ちょうどニューヨークに引っ越したばかりで、街中にポスターが貼られていました。 仕事も希望もない、ギリギリの福祉はあるから働かなくても、ギリギリのラインで生きていける。余った時間はドラッグで潰す。そういう人、ニューヨークにもいました。 後半のロンドンで悪さをするシーンは、小気味よくて好きなんですけど。T2を見る前に、最初の作品を復習したら、記憶の中で前半と後半がほとんど別の作品としてインストールされていて、びっくりしました。 テンポを落としたT2は、中年残酷物語ではなく(まぁ、そういう面もあるかな)、ひたすらスパッド演じるユアン・ブレムナーの怪演にひれ伏す2時間でした。 トレイン・スポッティングは、主要キャラクター全員がその後、大活躍した映画としても知られています(ロバート・カーライルはその前からスターですが)。その中で、ブレムナーだけ少し、影が薄くて。でも、影の主人公である彼が演じたスパッドに隠れた文才があって、家族も心のどこかで待っていて‥というオチは、人生を選ばなくても、人生が待っていてくれた、という理解でいいのでしょうか。 「心がきれいな、救いようのなジャンキー」という設定に「実は冷静に周りを観察していて、文才もあるジャンキー」という、もう一段階深い真実が明かされ、それを表情ひとつ、体を傾ける角度ひとつで演じ分けていました。 ちなみに、一周回って彼が書いたことになった原作を読んでみようかなー、とkindleでサンプルをDLしたところ、すごいの。

These foreign cunts’ve goat trouble wi the Queen’s fuckin English, ken.”... Read More

N.W.A. ストレート・アウタ・コンプトン Pt.2

こちらはPt.2です。私が考えるヒットの理由を書いたPt.1はこちらです) N.W.A.は暴力に満ちた現実を、暴力的な言葉で伝えました。「ギャングスタ・ラップ」の祖と言われていますが、映画中でのアイス・キューブの言葉を借りれば、「リアリティ・ラップ」の祖でもあります。「ひどい言葉を使って、ひどいことを言うな」と批判する恵まれた人たちと、「いや、曲の中身より現実の方がもっとひどいから」と応戦するアーティストのギャップを映像で見せたのが、この『ストレート・アウタ・コンプトン』とも言えます。 オープニングの週で興行成績1位を記録した直後、ジャーナリストのディー・バーンズが有力ブログサイト、Gawkerに「映画ストレート・アウタ・コンプトンで描かれていないこと」というタイトルで、ドクター・ドレーに殴られた件について手記を載せました。これが、さすがプロが書いた、ドラマティックかつ説得力のある文章で、派手に波紋を呼びました。彼女は元々N.W.A.のメンバーと近く、人気番組“Pump Up”のホストを務めた際にアイス・キューブがN.W.A.を口撃するのに加担した、と取られて、クラブでドレーと言い合いになり、手を上げられたそうです。ほかにも、元カノのR&BシンガーもDVを受けていたそうで、ドレーはビジネス・パートナーのアップルと共同で、謝罪の文章を発表しました。 うーん。N.W.A.~デス・ロウ時代は、ドクター・ドレーも怖かったこと、みんな忘れているか、新しいファンは知らないのかな、と思いました。このディーンさんはドレー版『Behind The Music』にも出ていました。そこでドレーは「言っていることは大げさだけれど、事実だし後悔している」と言っていて、裁判も示談で終わっています。男性が女性に暴力をふるうのは、最低です。それは、絶対にそう。でも、彼女の文章は「私はもっと有名になるべき人間だった」というエゴが行間に滲み出ていて、鵜呑みにできない。映画でも、シュグ・ナイトが怖過ぎて目立たないものの、ドレー役もいいペースで、人をバンバン殴っています。彼女が書くように「いい人ぶっている」とは思わないし、ヒップホップのリリックが内包する女性蔑視の問題を、N.W.A.だけに原因を求めるのも、違うでしょう。 ディーンさんは、「黒人の男性は、社会で暴力にさらされて、その鬱憤で黒人女性に対して暴力を振るう」とも書いていて、鋭いです。手を上げられた当人が恨んでいるのは仕方ないでしょうが、それに張り切って乗っかっている人たちは、私の目にはどうしても憂さ晴らしに映ります。ほかに、怒りを抱えているのかな、という。 Facebookで「女性蔑視の映画なのね。観なくていいかも」と書き込む黒人女性の友だちは多いし、ワシントン・ポストやヒップホップ・サイトとして大きいOK Playerまで「ドレーはひどい、映画は真実を伝えていない」と書き立てているのは、2015年にこの映画がヒットしているそもそもの理由、「黒人男性に対する偏見」を結果的に助長していて、そちらの方が負のループだと思ってしまう。ドレーでも、ジェイ・Zでも、黒人男性が社会的に大成功すると、ほかの人種よりひどく反発され、足を引っ張られます。 N.W.A.は、ドレーの天才的な音楽センスと、アイス・キューブの巧みに言葉を操る才能、そしてイージー・Eのカリスマ性が合体した奇跡のグループです。ドレーもアイス・キューブも、なんどかすべてを投げ出して人生をリセットし、その度にさらに大きな成果を出して来ました。アイス・キューブはすっかりハリウッドの重要プレーヤーだし、ドレーはAppleのビジネス・パートナーです。 映画を見ながら、タイミングや運、才能ももちろん必要だけれど、それ以上に上に行く人は、誰を信用するか、誰に手の内を見せるべきかを、痛い思いをしながら学ぶんだなぁ、とも思いました。 日本でも公開されますよう。... Read More

N.W.A. ストレート・アウタ・コンプトン Pt.1

8月14日の公開以来、様々な話題をさらい、興行成績1位を記録しているN.W.A.のバイオピック、『Straight Outta Compton』を観たので、感想を書きます。長いので、パート1とパート2に分けました。最初は、「私が考える、ヒットの理由」です。 結論から書きますね。 面白かった、というひと言では片づけられないくらい、動揺しました。 ニガーズ・ウィズ・アティチュード。キュートに訳せば「ひと癖ある野郎ども」、ストレートに訳せば「やれるならやってみろ、なニガー達」という絶妙な名前を持つN.W.A.のファンだったことは、一度もないです。だって、本当に怖かったから。私がニューヨークに引っ越した日に、イージー・Eが亡くなり、大ニュースだったのは鮮明に覚えています。自分が知っているミュージシャンが死んだのは初めてだったので、とてもショックだったことも。 ヒップホップを本腰で聞き始めたのが、90年前後。N.W.A.はすでに内部分裂を起こし、ディス合戦をくり広げ、アイス・キューブの『デス・サーティフィケート』あたりはリアル・タイムで聞いたけれど、「かっこいいし、うまいけれど、怖すぎる」が素直な感想でした。 スパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』で衝撃を受け、『マルコム・X』が大ヒットしたときは関連書籍を片っ端から読んで、黒人男性に対する不平等が延々と続いている事実を知っていても、N.W.A.関連の人たちが発するメッセージを正面から受け取るのは、「自分の知っている世界とかけ離れ過ぎていて、ムリ」だったのです。 それくらい、彼らがリリックで描く現実は、ニュースとしてどこからも入ってこなかった。
(オリジナルのメンバーです。左からキューブ、ドレー、イージー・E、DJイェラ、MCレン)
  その現実が、ヒップホップも関係ない日本人にまでいきなり届いたのが、何もしていないロドニー・キングさんが警察の袋叩きに遭ったのに、警官たちが無実になった事件が発端で起きたLA暴動でした。このときも、暴動の原因がN.W.A.の「ファック・ザ・ポリス」にある(=煽った)、とする、本末転倒な意見を言うメディアも多かった気がします。 あれから、四半世紀。 N.W.A.の結成と、「ファック・ザ・ポリス」が生まれた背景を丁寧に描いた映画が誕生して、アメリカ中が大騒ぎしています。 私が考える大ヒットの原因を、箇条書きであげてみますね。 1. ヒップホップ史上もっとも重要で、もっともお金持ちのプロデューサー、ドクター・ドレーと、ラッパーから俳優、映画プロデューサーに転向したアイス・キューブという大スターふたりの出発点のストーリーであること。 2. 伝説のMC、イージー・Eが亡くなって歴史が終わる、悲しくも完ぺきな結末を持つこと。 3. ドレーとイージー・Eを演じたふたりが、よく似ているだけでなく、とても自然な演技で、感情移入ができること。アイス・キューブは、息子さんが演じているだけあって、見た目は一番、似ていますが、なんか優し過ぎるのです。90年代のキューブを覚えている人は、「お父さん、もっとふてぶてしくて怖かったよ」と思ったのでは。 4. 監督は『フライデー』や『セット・イット・オフ』のF.ゲイリー・グレイ。PVをたくさん撮っているだけあって、ライヴのシーンの迫力、盛り上がりは圧巻。中盤の一番重要なライヴ・シーンは、鳥肌モノでした。 5. 彼らの物語は、アメリカで広く知られています。曲は知っているけれど、アルバムを聞き込んだ覚えはない私ですら、「あ、あった、あった」と思い出すシーンが多かった。理由を考えて思い当たったのが、MTVの姉妹局、VH1のドキュメンタリー番組『Behind The Music』です。当時の映像と、当人、関係者の証言を組み合わせて全体を振り返る番組で、これを作ってもらって一人前、みたいな風潮があったほど人気でした。再放送がとにかく多いのも特徴。N.W.A.は主要メンバー3人と、それを編集したグループ自体の番組がありました。 6. ここ数年の、黒人男性が殺されたにも拘らず(ロドニー・キングさんよりひどいです)、殺した側の警察官や自警団の白人男性が揃って無罪放免となり、“Black Lives Matter(黒人の命だって大事だ)”との気運が高まっているタイミングであること。
(映画のキャストです。雰囲気ありますね)
  最後の理由は、大きいでしょう。法を遵守して、一般的な国民を守る立場の人たちが、裁判や選挙のシステムを利用して、ひたすら自分たちと、その上にいる政府だけを守っているのに、みんなが嫌気がさしている。何が起きているか、きちんと報道しないメディアに腹を立てている。アメリカでは、抗議デモのニュースはさすがに流れるけれど、保守寄りのテレビ局は「全員の安全を守るためには、多少、警官がやり過ぎても仕方がない」と、涼しい顔で言う論客も必ず出します。 丸腰の黒人少年がフーディーを被って夜歩いていただけで、殺されて、「仕方ない」で済まされる社会があっていいはずないのに。メディアと行政側への不信感は世界的な動きで、そもそもの原因が違っても根っこの部分で、日本で怒りの声を上げている人たちと繋がっています。荒唐無稽な陰謀説は苦手な私でも、ここ数年の「なんだか仕組まれている、うまくやられている感」は否めない。 あえてダウンタウン・ブルックリンの映画館に行ったので、黒人の人が多かったですが(で、「そこ、笑うところ?」で大笑いしていましたが)、全米で様々な人が見ていると思います。20年以上前の出来事が、まったく昔話に思えない現実が、横たわっているからでしょう。 (Pt.2に続きます。公開直後に起きた、ドレー・バッシングについての私見を書いています)。... Read More

『Amy』ーエイミー・ワインハウスはなぜ死んだのか。

先週の土曜日、近所のBrooklyn Academy Music-通称BAMの映画館で『Amy』を観て来ました。2011年に27才で夭折した、天才シンガーのドキュメンタリー映画とあって、話題性も評判も上々。客席は8割方埋まっていました。 エイミー・ワインハウスには、強い思い入れがあります。 ニューヨークでのたった1度のライヴを観られたこと(ひと言だけ、言葉を交わしたこと)、3枚のアルバムのうち、2枚の対訳を担当し、その作詞能力の高さに、打ちのめされたことなど、理由はいくつかありますが、もう、単純に彼女の歌が、歌声が大好きなのです。 亡くなってから4年が経っても、これだけ注目されるのは、私と同じ思いの人がたくさんいるからでしょう。 トレイラーを貼りますね。 彼女が私たちの前で希代のシンガー・ソングライターとして君臨した期間は、実はごくわずか。 デビュー作の『Frank』を知っている人は、2003年からになるけれど、多くは「Rehab」がイギリスでヒットした2006年か、デビュー作『Back To Black』が世を席巻した2007年に、エイミーの音楽に出会っているのでは。 私は、スティーヴン・マーリーがユニバーサル内でアコースティック・ライヴ兼リスニング・パーティーをしたときに、『Back To Black』のスニペット(シングル以外は、短くされた曲が数曲入ったプロモーション盤)をもらったのが最初。パンチのある外見にビビりつつ、歌声にさらに圧倒された記憶があります。 デビュー曲からして、「みんなリハビリに行かせようとするけど、真っ平ごめんって言ったの~父さんだって大丈夫だろうって思っているし」がパンチラインの、アル中カミングアウト曲。鮮烈でした。 日本でも上映してほしいので、極力、ネタバレは避けますが、すでに知られている事実を含め、彼女が抱えていた闇には、少し触れてみます。。 アルコール中毒は筋金入り。直接の死因もそれです。ドラッグを始めたのは売れてからで、旦那さんだったブレークの影響。彼とは、お互いの存在自体に依存してしまう、共依存の関係だったように思えます。エイミーは過食症でもあり、数年の間に20キロ以上の体重が変動しているのが見て取れ、それも辛いです。 エイミーの曲は、絶望的なラヴ・ソングが多いのも特徴で、映画ではその曲を捧げた男性たちも出て来ます。ごめんなさい、この人たちが揃いも揃って、負のスパイラルを感じさせる、オトナコドモなタイプ。曲の世界観に現実味が帯びてしまって、顔は観たくなかったかな、と思ってしまった。映像は、ときに残酷です。 最後の2年は、メディアに追い回されて、精神的にさらに追い詰められます。イギリス人がユーモアがあるのは有名ですが、それと正比例するのか、ゴシップも好きで、タプロイド紙の文化も根強くあります。あんなに行く先々で、カメラのフラッシュが待ち構えていたら、ふつうの神経の人でもおかしくなるではず。ましてや、繊細だったエイミーは、耐えられなかったようで、それと破滅的な結婚生活が依存症を悪化させる悪循環。 幸せの尺度は人それぞれ。健康的な生活、健全な男女関係だけが正解でもないし、生前の彼女がまったく不幸だったと決めつけるのは違うとも思います。 命を削るようにして生んだ傑作には、圧倒的な存在感があります。 エイミーの曲にソウルがあるのも、シンガーとして最高だと讃えられるのも、彼女がギリギリまで命を吹き込んでいるから。それは、かけがえのない才能でしょう。そうは思うものの、やっぱりもう少し長く、私たちと一緒にいて欲しかった。もう1曲でも多く、レコーディングをして欲しかった。 映画は暗い話ばかりではなく、貴重なレコーディング・シーンや、笑顔で音楽についての思い語る場面もあります。彼女を支えたふたりのプロデューサー、サラーム・レミや、マーク・ロンソンの前での、素直な表情が印象的。 自分のスタイルを持っていて、ファッション・アイコンとしても素敵な女性でした。最近、レコード会社のトップが、エイミーの残りの音源をいじって売れないように、音源自体を処分してしまった、というニュースがありました。その人は「モラルとして」と言っていましたが、わずかな音源でも聞きたいファンとしては、複雑です。 だって、アルバムは3枚しかないのだから。
  右の本は、お父さんによるメモワール。読破はしていません。 レゲエ・ファンは、死後に発売された『Lioness~Hidden Treasure』に収録されている、スカの「Our Day Will Come」もおすすめです。私のオール・タイム・フェイヴァリットは、「Valerie」と「Tears Dry on Their Own」。同じ意見の人、いるかな? 「Love is a Losing Game」の歌唱も、鳥肌が立ちます。 エイミー・ワインハウスについては、まだまだ書きたいことがありますが、今日はこの辺にしておきますね。... Read More

ホーキング博士の『The Theory of Everything(博士と彼女のセオリー)』

昨日、初めて「過集中」という言葉を知りました。 集中し過ぎて、周りの様子が見えなくなる、声をかけられても聞こえなくなる状態です。 私は、たまーにコレになる。 子どもの頃、本やマンガに集中し過ぎて、夕飯に呼ぶ母の声が耳に入らないことば度々あり、気の毒なママは2階まで上がって来て、私の真横に立って「やっぱり」と呆れていました。呆れてはいたけれど、「次女は本好き」という事実を受け入れて、まったく叱らなかった私の母は、大らかで優しかったのだとも、改めて気がつきました。なぜなら、「集中、聞こえない」という、検索をかけたところ、思いのほか同じ症状(?)の人が多く、それもお母さんが「うちの子はおかしいのでは?」と相談しているケースが多かったからです。 だから、大好きな小説は私にとって「贅沢品」。頭と気持ちの切り替えが下手で仕事の妨げになるので、ふだんは手を出しません。映画に対しても慎重。ハマるとずーっとずーっと考えてしまうのです。「誘われたら行く」という受け身なスタンスで、大味なハリウッド映画を「残らないからいい」という妙な理由で選ぶことがあるほど。 一昨日、ジャマイカから来ている友だちに誘われて行った『The Theory of Everything』は、久々の「しまったちゃん」な映画でした。スティーヴン・ホーキングの映画が公開されたのは知っていたけれど、細かいことまで知らず、トレイラーもあえて見ないで出かけたところ、まともにドーンと受け取ってしまい。ドッジボールで、球を体の真ん中で受け止めて、胸からお腹の部分が痛くなることあるじゃないですか。あの状態。 トレイラーを見てみましょう。 見ての通り、奥さんのジェーンさんとのラブ・ストーリーが軸です。 トレイラーは冒頭の部分が多いので、キラキラしていますが、映画本編は淡々としながらじんわり重いです。 スティーヴン・ホーキングが患ったのは、筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう/ALS)。そう、去年、インターネットを席巻したアイス・バケツ・チャレンジは、この病気に対する啓蒙活動と、募金が目的でした。私は「目的はとてもいいけれど、やり方として適切かどうかは微妙」だと思ったのですが、ホーキング一家は賛成で、「自分は健康上の理由でできないけれど、3人の子供たちが代わりに被ります」というパフォーマンスをしていました。 博士は2回、結婚しています。ロマンティックな人なのです。ジェーンさんはとても強い女性で、彼女の強烈な愛情と意志が、なんども博士を救っています。おまけに、子供が3人。科学者として、世界的に有名になって行く過程と同時進行で、症状が悪化していきます。それを、カメラが言葉ではなく、ホー キング博士を演じるエディ・レッドメインの視線や微妙な表情、動きを丁寧に追って、その辛さを表現するのです。 どんな状態になっても、ギリギリのところで希望を捨てないふたりがスゴいです。博士が持ち前のユーモアとチャーミングな性格で、周りの人を和ませるのも。 制作陣にとって難しかったろうと察するのが、出て来るほぼ全員が存命であること。どうやら、最初の家族と再婚/離婚した看護師さんのエレインさんは仲が良くないらしいのですが、そういうことも出て来ません。博士は無神論者で、当然、教会と軋轢があるハズなのも、あっさり描いています。 この「何を強調して、何を見せないのか」というのは、とても気になりました。単なる知りたがりもありますが、私も文章を書く人間の端くれとして、「知っていること、思ったことすべてを書くのが良いわけではない」のはわかっているので、その取捨選択の仕方を勉強したい、と思ったのです。 文章でも、書き過ぎて焦点がぼけたり、逆に言葉が足りなくて誤解を生んだりします。レゲエ・アーティストやラッパーの過激な発言は字数の関係で“補足し切れない”と判断したら、その言葉が目を引くのがわかっていても、切ることはわりと多い。話し言葉より、印刷した言葉の方がずっとずっとキツく響くので、たとえ本人の発言そのままでも、必要以上に強くならないように調整するのも、インタビュアーの仕事だと思っています(逆に、インタビューを受ける立場の人は、この法則を覚えておくといいかも知れません)。 ホーキング一家も、もっとドロドロした場面、修羅場があったと想像します。それを、短い台詞に集約して匂わせる手法で、脚本もとても優れていると感じました。とくに、恋愛模様は視点をどこに置くかでまったく話が違って来ますよね。この映画は、ジェーンさんによる、結婚生活を振り返った本をベースにしているそうですが、博士の見方も入っているようです。スティーヴン・ホーキングは出来にとても満足していて、後半のコンピュータによる話し声は、博士の提案で本物を使っているそうです。 博士が記した『My Brief History』も、昨年に出版されています。短い本なので、Kindleで読むか、本を購入するか迷っていたら、ネット上にpdfで全文出ていて、これまたビックリしました(許可を取っているか疑問なので、正規版を買います。読みづらいし)。 とりあえず、この本を注文して、「しまったちゃん」体験だったーーこれだけ印象に残り、考えさせられる映画に出会えたのは、もちろん幸運なことです。 ただ、タイミングが悪かった。今週末はちらっとラーメンを食べに行くのが精一杯な感じで、いまもなーんで寝不足になりながらブログを書いてるんだー、と思っていますーー『The Theory of Everything』は一度、頭の片隅に追いやろうと思います。 最後に映画にも出て来る、博士の有名な言葉を引用してみます。 However bad life may seem, there is always something you can do, and succeed at. While there’s life, there is hope. -Stephen Hawking, 2006 最悪だと思える人生でも、必ず何か出来ることがあるし、それを何とかやり遂げられるものなんだ。生きている限り、希望はある ースティーヴン・ホーキング 2006年 ... Read More

「英国王のスピーチ」に見る主役体質/脇役体質

先日、「いいと思ったものに立ち戻る」と書いた時に思い出したのが最近、改めて観た「The King’s Speech(邦題:英国王のスピーチ)」でした。昨年のアカデミー賞で、もっとも栄誉ある作品賞と、最優秀男優賞を含む4冠を獲った作品なので、観た人、知っている人も多いかと思います。 主役のジョージ6世は、現女王エリザベス2世のお父様。女王が夏のロンドン・オリンピックで、ジェームス・ボンドと一緒にヘリに乗り込み、パラシュートで開会式に降り立ったのは記憶に新しいですね。もちろん、スタントですが、不意を突かれ、今年テレビを観ながら一番大笑いした瞬間だったかもしれません(NBCのアナウンサーのコメントも“Are you kidding me?(冗談でしょ!)”でした)。イギリス人らしいユーモアがギュッと詰まった演出で、86才でそれを引き受けた女王もすてきだなぁ、と思います。 話が逸れてしまいました。「英国王のスピーチ」の話です。内気で吃音があり、公務でもっとも大事なスピーチが苦手なアルバート王子/ヨーク公が、奥さんが探してきた実験的な手法を駆使するドクター、ライオネル・ローグ(あとで、資格がないことがバレますが)と一緒に障害を克服するストーリー。これは史実で、歴史の勉強もできる一粒で二度美味しいタイプの映画です。 <ネタバレ注意→>ハイライトは、兄のエドワード8世が有名な「王冠を賭けた恋」を理由にいきなり退位、国王になるつもりが一切なかったアルバートは大打撃を受けます。吃音の理由が心理的なものだと心得ていたローグは、治療を進めながら、乳母に折檻されていたこと、厳しく左利きの矯正をさせられたこと、X脚を治すために無理矢理ギブスをつけさせられたこと、それらを兄にからかわれたことなど、子供の頃のトラウマを本人から少しずつ聞き出して行きます。 吃音の原因になった出来事は過去のこと。変えようがありません。現状を変えるためには、心構えを変え、恐怖心を取り除かないといけないのですが、ローグに自分が抱える怖れを看破されたアルバートは、拒絶反応を起こして彼をクビにしてしまいます……。 王室の話ですが、できれば直視したくない過去の傷に向き合うのが難しいのは、誰でも同じでしょう。内気なジョージ6世を演じるコリン・ファースが葛藤を怒りでごまかすところから、徐々に問題を直視する勇気をつけていくまでを演じ切っているのが見どころ。あと、治療室のソファの後ろの絵や、ローグの家の壁紙、カメラのアングルなど、美術的に優れているのも気に入りました。 2度目の観賞で、主役体質と脇役体質について、あれこれ考えました。私が好んで使うものさしで、これにもう一つ、観客体質があります。だいたい、みんな日常生活でこの3つを使い分けていて、会社では脇役、家では主役、なんて人もいるかもしれないし、その場にいるメンバーによって立場を入れ替えることもあるかもしれません ここから先は、職業としての「主役」の話です 音楽ライターとして多くのアーティストに接していて思うのは、彼らは強烈な主役体質であること。主役は孤独です。その孤独とプレッシャー に勝てる人だけが、主役を張る権利がある、と言ってもいいかもしれません(才能の有無も関係ありますが)。私は完全に脇役体質で、ステージの前で写真を撮っていたり、脇で仕事をしていたりというが心地よく、自分の「定位置」だと思っています。実は、大勢の人の前で話してもほとんど上がらない度胸もあるのですが、だからといってそれを使う必要はないのです。 ジョージ6世も生まれつきの脇役体質。だから、王位に就くのが決まった時に泣き崩れたのでしょう。一方、兄のエドワードは、典型的な主役体質。立ち振る舞いも派手、女性にもモテて、都合が悪くなったら持ち前のチャームでごまかすタイプ。その彼が、離婚歴のあるアメリカ人女性と結婚するために王座から降りたのは、ロマンティックな話ではありますが、あとで調べたら、退位して王室からつまはじきにされ、国民にも忘れられた存在になってから、主役体質が変な形で露呈しました。ドイツのヒットラーが彼と妻のウォリスの知名度を利用しようと近づき、彼らのエゴを満足させる厚遇をして、取り込もうとしたのです。イギリスとドイツが一触即発の時期に、ウィンザー公であったエドワードと派手好きな妻とのこのこドイツを訪れて、ナチスの総会に出席したそうですから、主役体質であっても、国王の器ではなかったのかもしれません。 私が面白い、と思うのは、運命が体質をひっくり返すケース。ジョージ6世はまさにそれで、rise to the occasion、 戦争が始まってから、吃音をほとんど克服し、真摯なスピーチで国民を励まし続け、ロンドン空襲の際も「市民を置いて自分たちだけ逃げるわけにはいかない」と、避難を拒否したそうです。様々なムリが祟って56才の若さで亡くなってしまいましたが、その時には国民からとても慕われていました。 ラッパーのモス・デフも人前で話すのが苦手で、それを直すために演技を始めたところから、MC/俳優の道が拓けたそうです。私の知り合いでも、すっごいシャイで、ちょっとキワドいジョークを言おうものなら、赤くなってしまう人がいました。その彼が、自分でリリックを書いて、歌うのを知った時は、心底びっくりしました。この目で歌っている姿を観た時は、軽く感動さえしました。 これは、脇役体質の中に本物の才能が眠っていて、それが表に出た時にドラマが生まれた稀なパターン。 最近は、目立つためなら何でもする人が多い気がします。リアリティTVなどで素人有名人が大量に出たせいもあるでしょう。必ずしも悪いことではないですが、自分の元々の体質は把握しておいた方が後々困らないのでは。何がなんでも主役になろうとする前に、プレッシャーや重責、スポットライトから外れた時に凹まないだけの強さがあるのか…そこまで考えてから行動した方がいいように思うのです。 話を映画に戻すと、ジョージ6世には、お妃のエリザベス・ボース・ライアン(なんと、101才まで生きたそうです)と、ローグの名脇役がついていたからこそ、主役を立派に務め上げられたのかな、とも思います。... Read More

Marley

4月20日、マリファナの日に一般公開になった“Marley”。レゲエの神様、ボブ・マーリーのドキュメンタリー映画を観て来ました。 NYではローワー・イーストサイドにあるサンシャイン・シネマだけの公開。近所にあるBAMローズ・シアターと並んで好きな映画館です。どちらも吉祥寺のバウスシアターと同じ匂いがする。3時の回に行くことにして、午前中は、思いっきり窓を開けて買ったばかりの掃除機で楽しくおそうじ。で、終わってみたらキッチンにハッパの匂いが立ちこめていました。 まじめ(?)なご近所さんが、420の主旨に沿って窓を開けてガッツリ吸ったみたいで、あー、ブルックリンにいるんだった、と実感。ちなみに、私はレゲエ好きのハッパ嫌い。……嫌い、というのは強いかな、でも、マリファナ解禁には諸手を上げて賛成しないことにしています。セオリーよりも、実生活で「やられちゃっている人」を多く見ているので、慎重に扱うべきモノだと考えていて。 ……さて、映画の話です。 数年前にローリン・ヒルがリタ・マーリーを演じるというニュースが流れたので、ボブ・マーリーの映画の製作が進行中、というニュースは、俳優さんが演じるドラマになると信じていたのですが、結局、関係者の証言をもとに写真と映像で彼の軌跡を見せるという、いたって正統派のドキュメンタリー映画になっていました。 伝記『Catch A Fire』から始まって、ボブ・マーリーの関連書籍はたくさんあり、長い間レゲエ・ファンをやっている人なら、ボブの一生について、一通り知っているのではないでしょうか。私もいい線まで知っているつもりでしたが、それでも新しい発見がありました。箇条書きで行きます。(以下、ネタばれになるので、観るつもりの人は、適当に飛ばしながら読んでください) ・ ボブのお父さんがイギリス人の白人だというのは広く知られた話ですが---今より、もっともっと尖っていたその昔、「ボブ・マーリーは鼻がまっすぐで肌の色が薄かったから、白人にウケた」と言い放って、ボブ信者を怒らせたことがあります、私。ハハ。---そのイギリス系のマーリー家は“Marley & Plant”工場を持っていて栄えていたので、ウェイラーズの活動資金を援助してもらおうとボブが訪ねて行ったものの、あっさり拒否され、その時の悔しさが“Corner Stone”の歌詞になった。→異母姉妹も出て来ます。その人が言った、「今、一番有名なマーリーはボブなのにね」という言葉が印象的でした。 ・ グループとしてのウェイラーズを育てたのはスタジオ・ワンのコクソンではなくて、ジョー・ヒグス。すぐにポシャらないように2年の月日をかけて特訓した。→これ、クライヴ・ディヴィスがホィットニー・ヒューストンのデビューの準備に費やしたのと同じ期間です、ちなみに。 ・ その間、ステージ度胸をつけるために、夜中の2時に墓場に行って歌うという肝試しみたいなトレーニングもあった。ボブ、バニー、ピーターはちゃんと歌いに行った。-→ジャマイカ人のDuppy(幽霊)好きをよく現したエピソードです。死者と精神的に近い文化があるのも、日ジャの共通点ですよね。 ・ 初期の名曲、“Small Axe”は、コクソンやプリンス・バスターが始めたレーベル、Big Treeを切り倒す、という思いを込めて作った→スカとロック・ステディの45を集めていた時期があるので、わりと60年代のレーベルは詳しいのですが、Big Treeは持っていません。テクニークスのウィンストン・ライリーが作ったアンセル・コリンズの名曲“Double Burrell”も元々このレーベルからリリースされたようです。 ・ ラジオでかけてもらうために、自分達でラジオ局周りをし、その際にはジャマイカでは珍しい野球のバットを持ち歩いていた→トレンチ・タウン出身だから、根性あります。 ・ 父親としてはラフで、長女のセドラが「一日中ハッパを吸っているか、音楽をやっているかの家だったから友達を呼びづらい」と嘆いたら、「家族がいれば、友達なんていらん」と言い切ったとか。リタとの結婚式に、ピーターとバニーも呼ばなかったそうです。 売れてからの話、「スマイル・ジャマイカ」コンサートやガンマンによる銃撃、「ワン・ラヴ」コンサート、海外での成功のあたりは、まぁ、知っていることを映像でおさらいする感じです。ほかの見所としては、フーシャー・ピンクの髪とひげで登場するリー・ペリー、その彼の若かりし時の映像(ブラック・アーク!)、ピーターが弾く、和音を押さえるだけのピアノに合わせて歌ったゴスペル調の“No Woman, No Cry”。 ザ・ウェイラーズやアイ・スリーズのメンバーはもちろん、ジミー・クリフ、ボブ・アンディ、クライヴ・チン、クリス・ブラックウェル、子供の頃の友達……それから、バニー・ウェイラー。アソシエーテッド・プロデューサーでもあるバニーの話し方がとてもチャーミングです。ダミアン・マーリーのお母さん、シンディ・ブレイクスピアーも登場します(目がダミアンにそっくりです)。女性関係にもわりとストレートに切り込んでいるのも誠実でした。 “ワン・ラヴ”を歌いながら、そして多くの仲間と女性、子供達に囲まれながらもなんとなくボブ・マーリーという人の顔つきや歌声、リリックには孤独感がにじみ出ているよなぁ、と前々から感じていたのですが、映画を観て、父親を知らずに育ち、肌色が薄いためにのけ者にされた原体験に理由があるような気がしました。幼なじみでもあるバニーが「仲間はずれどころか、reject(拒否)されてたよ」と言ったのは、ショッキングでしたし。12歳に母とキングストンに出て、トレンチ・タウンで切磋琢磨しながら音楽を見つけ……たのはいいですが、17歳の時に、お母さんが彼を置いてアメリカに渡ってもいるんですね。で、ウェイラーズで売れだしてからもお金にならないものだから、デラウェア州に彼も行っています。ちなみに、リタ・マーリーの本で、彼女も子供の頃に母親が出奔、肌の薄い兄だけを連れて行った、という話があるので、お互い非常に分かり合えるところがあったのかも知れません。 「過酷な状況だから、ぐれるか頑張るしかない」との、トレンチ・タウン時代の友達の言葉にもグッときました。ボブは頑張りすぎるほど頑張り、最後は皮肉にも白人に多い黒色種という皮膚がんを患ってしまいます。77年に一度発見し、足の親指を切り取った方がいいという提案を無視したところ、81年に倒れた時は体中に転移していたそうです。化学療法も試みて、ドレッドが抜けたのは、私も知りませんでした。 4年もガンが体を蝕んでいるのに、アルバムを発表し、世界中をツアーし続けられたのは、彼の精神力もあると思いますが、マリファナをたくさん吸っていたからではないか、と、ちらっと思いました。抗がん作用があるので、病気の進行を遅らせた反面、痛みが和らぎすぎて本人も不調に気がつかなかったのかなぁ、と。映画の中で、「父を知らないボブは、ハイレ・セラシエに父を見いだした」という下りがありますが、アフリカに行った際の映像を見ると、ボブ・マーリーこそが多くの人の音楽的な心のよりどころ、父親だったようにも思えて来ました。彼の歌に励まされたり、癒されたりして来た、極東の私たちも、精神的にボブ・マーリー・チルドレンなのだろうとも。 監督のケヴィン・マクドナルドは、『ラストキング・オブ・スコットランド』(怖いけれど、いい映画です)や、『ブラック・セプテンバー』を撮っている実績のある人です。『ブラック・セプテンバー』は72年のミュンヘン・オリンピックのテロ事件を題材にしたドキュメンタリーで、アカデミー賞を穫ったそうですが、私は未見。ぜひ、観てみたいです。 ラスト・シーンが少々わざとらしかった以外は(マーリー・ブラザーズを出せばいいのに、と思いました)、非常に楽しめました。日本では秋に公開になる予定があるらしいので、楽しみにしていて下さい。 ... Read More