ジェイ・エレクトロニカ 衝撃デビュー作『A Written Testimony』

2020年はもう何が起きても驚かない、と思っていた3月13日の金曜日。あっさり、びっくり仰天しました。ジェイ・エレクトロニカが、あの、10年以上も出す出す詐欺を続けていた、2007〜08年当時は最恐MC登場と噂され、エリカ・バドゥとつき合い、その次によりによってロスチャイルド家の娘さんと交際してイギリスに移住し、そのあいだも「出す出す詐欺」を続けていたジェイ・エレクトロニカが、とうとうデビュー・アルバムを出しました。もうね、待ちくたびれて、彼に関しては「パトラッシュ、もう疲れたよ、なんだかとっても眠いんだ‥(パタリ)」状態でした、私。

彼の名前が世に出てから干支が一周回ってしまったので、「ジェイ・エレクトロニカって誰?」のヒップホップ好きも増えているかと思います。なので、彼の紹介と、衝撃の傑作『A Written Testimony』(証文、の意) の聴きどころを簡単に解説します。

A Written Testimonyのジャケ。ビヨンセのデザインだそう。

・ジェイ・エレクトロニカは、ニューオーリンズ生まれの43歳。ニューオーリンズのヒップホップ・シーンといえば、マスター・Pのノーリミット・レコーズや、リル・ウェインを輩出したキャッシュ・マネーが有名ですが、彼は高校時代にマーチング・バンドに在籍していた点がサウスっぽいくらいで、緻密に言葉を重ね、韻を踏み、ストーリーを語る東海岸のヒップホップの影響が強い人です。07年にジム・キャリーの映画にインスパイアーされたミックステープ『Act 1: Etarnal Sunshine』を出し、その後、ジャスト・ブレイズがプロデュースしたExhibit Cで注目を浴びます。当時は、00年代最後に出てきた大物、という触れ込みで話題になっていました。

・彼は、ニューオーリンズからニューヨークにたどり着くまで各地を転々としました。そのあいだに、ネイション・オブ・イスラムに入信してムスリム教徒になり、その信仰がラップに織り込まれています。アートカバーにアラビア文字が入っているのは、それが理由(デザインしたのはビヨンセだそう)。ヒップホップとムスリムは深い関係があり、ラキムやQティップ、ヤシーン・ベイ(モス・デフ)、アイス・キューブなどイスラム教徒だと言われています(入信を公言していますが、現在もそうかはわからないため、ぼかします)。ジェイ・エレクトロニカは、ネイション・オブ・イスラムから派生したファイブ・パーセンターズを信じているそう。85%は操られる側、10%が支配する側、残りの5%が覚醒したプアー・ライチャス・ティチャーズ(貧しき正義の教師たち)である、という考えです。そうそう、プアー・ライチャス・プリーチャーズというグループもいましたね。ヒップホップのリリックを理解するために知っておいたほうがいい宗教ですが、隣人や友人だと、かなり上から目線だし、男尊女卑だし、話すのがめんどうくさい人たち、というのが私の強〜い実感です。まぁ、選民思想ですからね、仕方ない。

・それはそれとして、ジェイ・エレクトロニカが凄腕のMCであるのはまちがいなく、リリックはもちろん、メロディーやトラックを自分で作ってしまう才能豊かな人です。レーベルからの激しい争奪戦の末、2010年がジェイ・Zが自分のロック・ネイションと契約し、ずっと見捨てなかったのも頷けます。

・出てきた当初は、「エリカ・バドゥの彼氏」としても有名でした。エリカはアウトキャストのアンドレ3000、The D.O.C、コモンとも交際しているので、本物のMC殺しでしょう。で、彼女と5年付き合ったあと(娘さんがひとりいます)、ヨーロッパのユダヤ系大富豪一族、ロスチャイルド家のケイト・ロスチャイルドと交際して世間を騒然とさせました。ケイトは大富豪の銀行家と結婚して3人の子どもがいる人妻だったので、イギリスのタブロイド紙は大騒ぎ。離婚後、ジェイ・エレクトロニカと新しいレーベルを始める噂もありましたが、結局、このふたりは別れました。いま調べたらケイトはプロデューサーのノーティー・ボーイと交際中のようです。世界一、お金のある業界グルーピーサポーターですね。

・ファイブ・パーセンターズでありながら、金融界を牛耳るロスチャイルド家のお嬢様と懇意になるとか、ブレているのか、3周くらい回ってお互いを深く理解できたのか、私にはわかりませんが、この1件に対するアメリカのヒップホップ業界の反応も「は? 意味わかんないし」だったと記憶しています。このカップルは2014年くらいまでガタガタやっていたので、ほとぼりが冷めたというか、彼の才能を純粋に評価できるときがやっときた、ということかもしれません。

・これだけ時間がかかっても、ジャイ・Zが見捨てなかったのがすごいと思います。かなりの契約金を払っているはずなので、彼の才能を信じているのと、元を取りたかったのと両方かもしれません。

・結果、『A Written Testimony』は10曲中、2曲を除いてジェイ・Zが参加しています。最初に聴いたとき、ハードコアな『Watch the Throne』みたい、と思った人も多いのでは。仲間はずれになったカニエさんが暴れたり、いじけたりしないか、いまから心配です。ふたりのジェイさんは相性がいいようで、ホヴァさんのラップも近年いちのキレと輝きを見せています。筋金入りのジェイ・Z信者としては、もうパステルカラーのスーツとか着なくていいよ、あなたはラップの職人なんだからこっちが正解だよ、と伝えたいです。

・2010年に出たShiny Suit Theoryが入っていますが、『A Written Testimony』の収録曲は昨年末から40日間で作ったそう。エレクトロニカ、夏休みの宿題を8月31日にやるタイプでしょうか。それまでの月日は一体、とも思いますが、All’s well that ends well(終わりよければすべてよし)。これから、たくさん曲を発表してほしいです。

・ジェイ・Z以外の参加アーティストは、トラヴィス・スコットとザ・ドリームら。いままで散々、一緒にレコーディングしたと言われたアーティストの曲は入っていません。そのうち、ミックステープでも出してくれると嬉しいです。

・プロデュースは6曲がセルフ・プロデュース、ほかにアルケミストやNo.ID、スウィズ・ビーツにヒットボーイらが参加しています。リリックは集中して書いたのかもしれませんが、数年前からあったトラックもありそうですね。それを差し引いても、捨て曲なし、絶妙な力加減で展開していく傑作アルバムです。私が一発で気に入る=オーソドックなヒップホップ・アルバム、ということかもしれませんが、まぁ素晴らしいです。もうずーっと聴いています。

・時間がないのでサクッと2曲だけ、曲解説をします。

まず、2曲めのGhost of  Soulja Slim。ソルジャ・スリムの幽霊、というタイトル。ソルジャ・スリムは、2003年に殺されたニューオーリンズのラッパーです。Black on Blak(黒人対黒人の殺し合い)で亡くなったため、その点でよく引き合いに出ます。イントロがネイション・オブ・イスラム総帥、ルイス・ファラカーンの演説です。フランスの映画音楽を思わせる旋律に、黒人同士の殺し合いやシステムへの怒りをラップする戦闘モードのふたり。エレクトロニカが「俺とホヴァの言葉はコーランからだよ」と最初に断っているので、ジェイ・Zもかなりムスリムに傾倒しているようです。アラーを崇拝し、ロスチャイルドをディスるラインもあります。

・6曲めのUniversal Soldier。インタールードで原爆を積んだB-29が広島に向かっていることを伝えるニュースをサンプリングしていて、ギクッとしました。タイトルが「ユニバーサル・ソルジャー/世界の兵士」なので、はじめ聴いたときは、いやな予感しかしなかったのですが、結論から書くと、その予感は半分当たって、半分外れました。ほとんどのアメリカ人は、米軍による原爆投下を悪かったと思っていません。そうしないと、ドイツと手を組んでファシズムの道を走っていた日本を止められなかった、と教えられているからです。ただし、「アメリカ軍は、日本が有色人種の国だから原爆を落とした」と人種問題の観点で語る人もいました。で、この曲はどうなんだろう、と思って緊張してリリックを読みましたが、「世界の兵士になって戦ってやる」という話でも、「有色人種として日本に申し訳なかった」という話でもありませんでした。ヴァースでは、エレクトラは、酒浸りの夜をアラーの神に救ってもらった、イライジャ・モハメッドがついている、といったことを言っていて、ジェイ・Zはドラッグ・ゲームで負けた奴らみたいな目には遭わないぜ、的なことを言っています。どちらかといえば、世界ではなく、自分と闘っている曲です。ただ、最後に

That guilt trip ain’t gon’ work, don’t put your luggage on we 
You ain’t keep the same energy for the du Pont’s and Carnegie’s 
We was in your cotton fields, now we sittin’ on Bs, on me 

罪の意識を押し付けようたってそうはいかない お前の過失を押しつけるな/デュポンやカーネギーには態度が違うだろ/俺たちは綿畑から勝ち上がって自力で億万長者になったんだ

と言っていて、奴隷を使って大企業になった財閥のデュポンやカーネギーと同じ罪を背負わせるな、と結んでいます。昔みたいにアーティストのインタヴューができるなら、イントロのニュース部分の意図をジェイ・エレクトロニカに確認したいところですが、ざっとリリックを読んだだけだと、効果音以上の意味はなさそうです(ちがう意見があったら、ぜひ聞かせてください)。ちなみに、彼はほかの曲で「ワサビ」と何回か言っています。そうそう、エレクトロニカが好んで飲んでいるらしいWoodfordはケンタッキーのバーボンで、私も大好きなお酒なのでうれしくなりました。

最後、どうでもいい情報で締めてごめんなさい。時間ができたら全曲解説したいな。とにかく、『A Written Testimony』はマストチェックです。