最近、よく目にする「世界基準」という言葉。なんか、ひっかかる。好きじゃない。だって、「日本の国外で活動するのがエラい」みたいなニュアンスを感じません? ホントに、そうなのかな?
延々とニューヨークにしがみついている(って居心地良くなっちゃっただけですが)おまえが言うなー、って感じだけれど、スキルと英語を身につけるために海外で頑張っているのはいいとして、日本に帰ったらそれがハイプになっちゃうのはどうかと思う。
あ。イジワルに響いている自覚あり。
引っかかる理由をに分析してみたら、「海外在住」は諸刃の剣というか、ダブル・スタンダードというか、私は「ニューヨークにいるから仕事もらっている人っているよね(=ライバルが多い日本にいたら通用しないライターや通訳も多いよね)」って言われて悔しい思いをして、住所に関係ない仕事(ライナーとかね)にこだわっていた時期もあるので、ひねくれた思いがあるようです。自分の問題でした、ごめんなさい。
でも、あれよ。「飛行機乗ったら、海外には来られる。問題は、そこから」とはいつも思っています。あと、こちらに住んでいると、常識がおかしくなって、日本で通用しない人になったらどうしよう、との怖れもあって、そのバランスも難しいです。最近、わー、ジャマイカ人も「世界基準」に弱いんだな、と思ったのが、レゲエ・シーンではすでに知られているティッサーン・チンがアメリカのオーディション番組『The Voice』に出たときのこと。
私も応援してましたよ、思いっきり。審査員全員の取り合いになったときは「スカッ」としたし。
解説すると、『The Voice』は『アメリカン・アイドル』や『Xファクター』に続く人気オーディション番組で、マルーン・5のリード・ヴォーカル、クリスティーナ・アギレラ、シーロー、あとカントリーの人が審査員件コーチとなり、最初は椅子を後ろに向けて(ルックスは度外視で)、歌声だけでスカウトする、というのがウリ。優勝するとユニバーサルからデビューできるので、「地元でずっと歌っています」みたいなセミ・プロもよく出場します。ティッサーンもそういう意味では、アリ。
父君は彼女とお姉さんのタミー(旦那のウェイン・マーシャルも紹介のヴィデオにちらっと登場)のために家に立派なスタジオを作っています。リハもできる広さで、ビックリしました。
これが放映されたあと、twitterやFBはティッサーンを応援するジャマイカのアーティストの言葉であふれました。バウンティもすぐにつぶやいていたし、同じ時間帯にブルックリンでリリパ(行けなかったぜー)をやっていたシャギーは、いったん音を止めて、その場にいた全員で結果を見守ったとか。いい話ですよね。タミー・チンはシャギーのダンサーをやっていたし、ティッサーンも彼と曲を作っているから、親戚のお兄さん(かおじさん)な気分なのでしょう。
ティッサーンがレゲエとロックの融合、もしくは限りなくロック寄りの音楽を目指しているのは知っていました。彼女の歌声にはピッタリではあるものの、中国系ジャマイカ人(正確にはお父さんが中国系で、お母さんはコケイジャン。ティッサーンはお姉さんよりお父さんの血が濃く出てますね)でロック…は難しいかな、などと狭量なことを思っていました。
だから、意外性が+になるオーディション番組に出たのはいいアイディアかも。もう、アメリカにもライヴで歌うような音楽番組はなくて、オーディション番組全盛期、視聴率も高いですし。ジャマイカ人が「世界基準」に弱いというより、アメリカのテレビ番組が好きって話なのかな、結局。
実力のある人、一生懸命やっている人は、どこにいても結果を出す。そういうことでしょう。
ティッサーン、優勝してほしいなぁ。
もし、アメリカのユニバーサルからのデビューとなれば、契約したものの、デビューアルバムはリリースされず(=お蔵入り。日本盤はあります)、そのあとエイコンに託されて一緒にサンフェスに出たけれど、マドンナみたいなシングルで終わってしまったお姉さんのリベンジになります。
がんばれーー!