映画『デトロイト』とケンドリック・ラマーのグラミー賞パフォーマンスをつなぐ線

50年前、デトロイトでの暴動中に起きた悲劇を描いた『デトロイト』を観たのが1月27日の土曜日。それから、1日半後にケンドリック・ラマーがグラミー賞のオープニングのパフォーマンスで話題をさらいました。

『デトロイト』で描かれていた出来事と、ケンドリック・ラマーが出番の最後で見せた赤いフーディーを着たダンサーたちを銃声とともに撃ち殺していくジェスチャーは、一本の線で結ばれています。

アメリカが抱える大きな闇、警察官による黒人男性への暴力と、それを野放しにする司法制度という消えない線。

公開中の『デトロイト』は、実話です。1960年代、自動車産業と音楽で盛り上がっていたミシガン州デトロイトで人種間の軋轢がひどくなり、店頭を襲い略奪するなど暴動が続く中で起きた実話をもとに、取り締まりを口実に私刑(リンチ)をした警官が有罪にならなかった顛末を追っています。『ハートロッカー』でオスカーを獲ったキャサリン・ピグロー監督らしく、カメラがグイグイと寄り、銃を突きつけられる絶望感が伝わってきて、すごい迫力。被害者に、後に“Whatcha See is Watcha Get”などのヒットを飛ばすドラマティックスのメンバーがいました。歌でアメリカン・ドリームを追うはずが、アメリカのシステムに裏切られるくだりは本当に切ないです。

 

 

楽しい映画ではありません。いや、とっても怖い映画ですが、「差別意識がないのだから、顔を黒く塗るブラッックフェイスは日本ではセーフなのでは?」という案件を先月、真剣に考えた人にはヒントになるように思います。

「なぜいけないか」を理論的に説明した文章はいくつかネットにあるのでそちらを参考にしてもらうとして、私はものすごくざっくり、感情的に(実際、この件を考えるたびに 緊張してぐったりします)、海外に住んでいる人が 日本の芸能人のブラックフェイスを見ると「ヒィーーーーッ」と恐ろしいものを見たような反応になるのか、書きますね。

 

それは、「無神経だから」です。

 

今、肌の色を変えて笑いを取ろうとする姿勢が、とてつもなく無神経に映るのです。「日本ではピンとこないだろうけど、差別つもりはないかもしれないけど、気を遣え」。これが、「ヒィーーーーッ」となる理由です。

「浜田雅功さんはエディ・マーフィーのマネで、エディ自身、肌の色を塗って他人種になっているのだからいいのではないか」という反論も目にしました。

 

ダメなんです。

 

エディ・マーフィーという人は、老若男女、肌の色や体型まで完全に変えて一人で何十人もの人を演じ分ける芸風で有名になりました。白人やアジア人にもなるのは、社会風刺のための手段。「こんなに化けられて面白いでしょ」という面もあるけど振る舞いや話し方まで含めて化けるから風刺になるのです。色を塗って終わり、とい単純な話ではないし、見ていて誰も不愉快にはならない。

 

ケンドリックの話をします。赤いフーディーは、2012年に黒いフーディーを被って夜道を歩いていただけで怪しい、と本物の警察官でさえない、自警団のジョージ・ジマーマンに撃ち殺されたトレイヴォン・マーティン事件に起因します。トレイヴォンくんは、17歳でした。ジマーマンは無罪になった上に、判決後は安全な場所に匿われました。この時、大統領だったオバマさんが「二人の娘を持つ父親として、とても悲しい判決だ」と言葉を選んで本音を伝えました。

この事件の後も、もう何十件も似たような事件が起き(Black Lives Matter/ブラック・ライヴス・マターで調べてください。その数の多さ、無慈悲さに戦慄します)、相変わらずポンコツな陪審員制度で警官はまず無罪になっています。「ブラック・ライヴス・マター(黒人の命だって尊い)」というキャッチコピーがついたおかげで最近のムーヴメントだと勘違いする人もいるようですが、ずっと続いているアメリカの暗部です。

私も2000年頃、ニューヨークにきて間もない人に「ブルックリンの警官は凶暴だと聞くから」と一緒に家まで歩いて欲しいと言われたり、同じ時期にアジア系の警官が目につくようになって、話したら「白人以外を積極的に採用しているんだ。まぁ、居心地は悪い」と言われたりしました。ずっと続いている問題なのです。

ここ最近は、暴動こそ起こりませんが、報復で警察官が殺される事件も起きています。平和を訴えるデモが起こり、そのデモに今度は差別主義者が割って入って衝突。トランプさんは「どちらも悪い」と大統領としてあるまじき発言をして事態を煽りました。

その絶望を映すのが、ケンドリック・ラマーのアルバムタイトル「Damn(ちくしょう)」であり、アートワークの虚ろな表情なのです。もちろん、それだけではなく、スターになった孤独、愛、宗教、自分の中の葛藤など、ラップしている内容は多岐に渡っていますが(前作の方がBlack Lives Matterを象徴する内容でした)。時代の気分をラップで的確に、詩的に切り取ったから、彼の4作目は高く評価されたのです。

日本には日本特有のストレスがあるし、この問題を親身になって一緒に怒ったり、海のこちら側から解決したりしよう、というのは偽善かもしれません。

ただ、無神経な振る舞いはやめないと。ハロウィンに黒塗りとか、完全にアウトです。

アメリカでは黒人の人だけでなく、すべての人種がこの問題を憂えています。だって、そうでしょう。罪のない同僚やクラスメート、近所の人が警察官に誤解を元に暴力を振るわれて、おまけにその警官は法に守られているため、似たような事件が続く国が自国なんてふつうの神経なら辛いです。

 

アメリカでは暴動が起きない代わりに、いや、起こさないように映画やテレビドラマ、音楽でこの問題に関するメッセージを含めた作品が次々に生まれています。話題作『スリー・ビルボード』(大傑作)も伏線の一つも、それです。アメリカのエンターテイメント作品に触れる機会が多い人は、あまり楽しくなくてもこの事実は頭の片隅に入れておいて、動向を見守ると理解が深まると思います。

昨日、正式に公開になったケンドリック・ラマーのパフォーマンスです。途中で言葉を挟むのは、90年代に一世を風靡した後、体調を崩して活動休止をしていたデイヴィッド・シャペルです。エディ・マーフィーをさらにエグくした芸風の人ですね。

 

キツめの文章におつき合いいただき、ありがとうございました。気分を戻せるように、ソウルフード・レストラン「Peaches」のブランチ・メニューの写真も貼っておきますね。

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