ジョン・ホルトとアルトン・エリスの思い出〜レゲエ好きとして生きること

10月19日、ジョン・ホルトが亡くなりました。享年67才。

6月にあった『Groovin’ in Da Park』でも予定されたいたのに来られず、ピンチ・ヒッターでケンちゃんブースが出演しました。

Studio 1の看板グループだったパラゴンズの一員として世に出た人で、コーラス・ワークも上手でしたが、ひとりで歌うときの独特のヴィブラートする歌声が本当にすてきでした。“Stick By Me”と“Left With a Broken Heart”の2曲がとくに好きかなー。顔つきは険しいものの、甘い歌が似合っていましたね。ちょっと切ない感じの。

…それにしても。

アルトン・エリス、グレゴリー・アイザック、シュガー・マイノット、スカタライツのメンバーのほとんどなど、ジャマイカの音楽の礎を築いた人たちが、どんどんあちら側へ旅立ってしまって、とても寂しいです。数年に1度でも、彼らのステージを見ると、なんでこの音楽が好きなのかを思い出して、自分の土台もしっかりするような、背筋が伸びるような気がしたものです。

アルトンは、「だいぶ悪い」という話が出た後でもミラクル・カムバックを果たして、そのときはカッチリすてきな歌声を聴かせてくれましたよね。ちょっと話が逸れますが、日本のレゲエ情報で、昔の中毒を持ち出して、グレゴリーが最後ヘロヘロだったような記述が使い回されているようです。それ、間違いです。私、グレゴリーの晩年の前年に、ステージを見ています。往年の「不良ラヴ・ソング」をガンガン歌って、叔母樣方が「キャー」ってなってましたよ。

みんなでコクソンさんとあーでもないこーでもない、と言いながら、あちら側でも音楽を作ってくれているといいのですが。

アルトン・エリスと、ジョン・ホルトのふたりには、懐かしい思い出があります。

92年かな。

ヴァレンタイン・デーのコンサートでふたりが来日したんです。ジャパスプをやっていたタキオンが招聘、私はタキオンの下っ端社員だったのですが、日常会話程度の英語は出来たので、リハーサルとホテルに戻るまで連れて行く役を仰せつかったんですね。

会場の渋谷クアトロから、東急ホテルまで徒歩15分弱。タクシーに乗る距離でもないので、おじさま方とテクテク歩くことになりまして。

A地点からB地点まで歩くだけの任務ですが、気をつけないといけないポイントがいくつかあるんですね。「わー、アルトンだー」って手を振ってくれるファンの方々はもちろんありがたいのですが、アーティストと仲良くなろうと、プロモーターが困る差し入れをしようとする人がたまーにいて。

もう時効だから書きますね。レゲエ・マガジンの編集長、故・加藤学さんは屈強なタイプで、ジャパスプのツアー中に、「ホテルの外に余計なものをモノを持って来ようとした奴がいたから、“お前、ジャパスプ潰す気かよ!”ってボコボコにしてやった」と、朝いちからニコニコして報告する場面があったり。「ボコボコ」がどこまで本当かわかりませんが(一緒にいたアルファの小林さんが“池城ちゃん、ホントだよ、ホント!”って言ってました)、まぁ、激しい職場でした。本場のレゲエが何を標榜しているのはわかっています。でも、ビートルズのポール・マッカートニーでさえ、日本に50年入れなくなるので。

そうそう、ジョンとアルトン。

15分の道のりを、ジャマイカ人らしくのーんびり移動していたふたりの間で何やら口論が始まってしまい。

「いかん! あれはいかん!!」

「子供への影響はどうするんだ、ダメに決まっているだろ!!」

お互いの顔を見て、語気を荒くして言い合っている。社会人としても人間としても、半人前以下だった私は、めっちゃ焦りました。あんなロマンティックな曲を甘い声で歌う二人がほとんど怒鳴っているのに、驚いてしまい。私はスタジオ・ワンからレゲエに入って、シャバ・ランクスより、このふたりに会う方がずっと嬉しいタイプだったので、余計。

うん、いまでも私が人生で本気で焦ったシーン、トップ3に入るな(ラップトップを盗まれても、取り乱さないタイプではあります。ドジが重なり過ぎて、そういうのをlet goさせるのは得意)。

ホテルの前に着いても、中で入らず、道で大声を出している、おじさまx2。

収拾させるだけの語彙力も人間力もないし、もじもじして突っ立っていたと思うのですが、そのうち、あることにやーっと気がついたんですね。

このふたり、ケンカしていない。

同じ意見を激昂して言い合っているだけ。

アルトン・エリスとジョン・ホルト、ふたりのレゲエ・レジェンドをそこまで激昂させた相手はなんと………。

マドンナ。

“パパ・ドン・プリーチ♪”の。ワハハ。ちょうど、『True Blue』が何年も流行っていた時期で(うろ覚えですが、ある時期まで日本で一番売れた洋楽アルバムだった気がします)、存在そのものがスキャンダラスでした。

その、マドンナをアルトン・エリスとジョン・ホルトは揃って「いかん!」って延々ダメ出し。同じ意見なんだから、そこまで声を荒げなくていいじゃないか、と思うのですが、ジャマイカ人って本気になると、みんな大声出しますよね。あのときの私は、それを知らなかったんだな。

 

へへー。自慢写真。45にサインをもらったの。“Love I Can Feel”はわかるけど、アルトンはたくさんある中から“I am the Ruler”を選んだんだね、大昔の私。ふふ。地味子さんらしいわ。グッジョブ。

そんなことをつらつらと思い出しながら、ふと思ったのです。

レゲエらしいとか、らしくないとか、色々な意見が飛び交っている今日この頃だけれど、そして、その議論はどこにも行き着かないだろうけれど(ムダではないです)、レゲエらしい生き方って、その人それぞれが、自分が「これがレゲエだ」って全身で感じられる瞬間を集めて行くことなんじゃないかなって。

ジャマイカに行くことだけがレゲエじゃないし、リディムを覚えることが一番大切でもない。

「これがレゲエでしょ」って、自分が心底納得できる時間をたくさん過ごせれば、それでいいんじゃないの。

20ン年前、渋谷の坂道で大好きなシンガーふたりがケンカしている、と勘違いして泣きそうになった私は、レゲエのとってもマジメでまっすぐな面を学びながら、スーパーウルトラどレゲエな15分を生きたのでした。

ありがとう、ジョン&アルトン。

R.I.P. John Holt and Alton Ellis. You are missed.

“ジョン・ホルトとアルトン・エリスの思い出〜レゲエ好きとして生きること” への3件の返信

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    何かめちゃくちゃ良い話しですね~
    もっと色々な話し読みたいので、池城さんお仕事お忙しいとは思いますが、ブログも頑張って下さいm(_ _)m

  2. SECRET: 0
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    >chan兵さん
    ありがとうございます。
    がんばります。

  3. SECRET: 0
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    アルトンの記事を検索していて辿り着きました。
    毎年、ジャパスプを追って日本縦断してたのが懐かしいです。
    ska~rocksteady時代の音が大好きで、アルトンは憧れでした。また来日してくれると思っていたら、あっさりといなくなってしまいましたね。
    直筆サインも持っていますが、直接本人から貰えるなんていうのは、もう叶わない夢です。僕のは "sings rock and soul" のリイシューに入ったサインだけど、アルトンのサインは書体がいろいろで面白いですね。
    グレゴリーは けっこう真面目な人だったんでしょうか、ライブ後は両脇抱えられて退場してるのを見たことがあります。

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