情報から逃げず、しかし埋もれず、流されない

今日はニュースやツィッターを見る時間を制限、調整してやるべきことをやろうと思ったのですが、家で仕事をしているとなかなかそれも難しいのです。

その間、NYにいる日本人の友人やアメリカ人から連絡が来ます。相手がどの程度、今回の災害について把握しているか見極めてから話すようにしているので、ちょっと疲れます。

「何もできないんだから、暗くならないようにニュースは見ないようにしている」という友達。旦那さんはアメリカ人だし、子供もいる手前、それも一つの手だと思います。地震での知り合いの安否を確認した、と言ってから、それとは関係ない自分の将来設計を話す友達。こちらは、「円に頼っている以上、その将来がそのままあるかわからないよ」という言葉を飲み込む。

昨日、送別会があって出かけ、最初は久しぶりに楽しい時間だと思って過ごしていたのですが、心の底にまったく違う感情があると、数十分ごとにその感情がフッと浮き上がります。それをアルコールでごまかす、というのをやっていました。

CNNでは看板ジャーナリストのアンダーソン・クーパーが被災地に出向き、インド系の医師とやり取りをしながらレポートしています。これが、生々しい。
土曜日の時点で、CNNとNHKの差を指摘したところで、いたずらに不安を煽るだけなので、黙っていることに決めました。私は音楽ライターで、ジャーナリストではないですし。

ただ、これだけは思います。

今回、USで東北関西大地震の様子がニュース番組以外に広がらないのは、たぶん、政策だろうと。地震、津波、ここまでは天災。原発の放射能漏れは人災で、原発がたっくさんあるアメリカでは、その危険性をあえて伝えたくないのだろう、というのは素人でも察しがつきます。

話題が集中しまくったハイチの大地震のときとの差を考えても、やはり理由はそれでしょう。その代わり、日本に住む人達の高潔さ、冷静さを強調するニュースは多いです。救助の迅速さもほめられています。嬉しいけれど、何か話の矛先を変えている気がしないでもない。日本でも、情報を求めている人だけへの報道ではなく、もっと広く伝えるための報道が始まるのではないでしょうか。祈るしかありません。

“情報から逃げず、しかし埋もれず、流されない” への1件の返信

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    bmrでの鋭い視点と音楽の愛に溢れた連載をいつも楽しみにしていましたが、
    終わってしまって残念に思っていました。
    そんな折、ブログを見つけて最近、拝読させていただいています。
    今回の震災、首都圏に住む私も、すごく考えさせられます。
    情報、きちんと扱いたいですね。
    とりとめも無くすみません。音楽の話題も楽しみにしています。

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