レゲエの仕事をするために、一番、絶対に大切なこと。

2014年に入って2週間以上が経ち、おめでとうの挨拶もだいぶ間が抜けているので……今年も、どうぞよろしくお願い致します。とだけ。

12月の半ばに大風邪を引いたのが祟り、年始年末はとっても地味だったけれど、いまの自分に必要な時間だったと気づいたので、結果オーライです。

うん。突っ走っているだけだと、周りの景色も足下の状況も見えないものね。
高熱を出すと、ふだんはそのままになっている毒素も殺せるそうです。バンバン殺した感ありあり。体の毒素は抜けましたが、今年一発目のブログはちらっとね、毒を吐こうかなぁ、と。

でも、いい毒よ。たぶん。

去年は、日本のレゲエ・シーンを間近で見る機会に恵まれ、どうしても現場を仕切っていたり、曲を配信していたりのおっさんチーム(へへ。私に言われたくないね)との話は、

「いま流行っている日本のレゲエは、本当の意味でレゲエか否か」

に流れがちで。その中で、

「外国の食べ物、例えばイタリアンが日本に入って来るときは、日本人の口に合うように変わるように、音だって日本人の耳になじむようになってもいい」

という意見があって、そういう見方もあるかな、と思いました。
ただですね、こちらの和食屋さんで天ぷらを頼むと、エビ天のほかの野菜がほとんどブロッコリーで蓮根も茄子もなし、という「なんじゃこりゃ」な代物が出て来ることがあります。

「違うから。君は断固として正しい天ぷらじゃないから」

と、心の中でダメ出しをしながら、一応、食べ終えます。アメリカ人の口に合わせたのかもしれないけれど、やっぱり偽物だと感じてしまう。だから、日本のレゲエもふつうのジャマイカ人に聞かせてどう思うか、で判断するのはどうか? とも考えましたが、日本語で歌っている時点でひるむか笑うかして、終わってしまうような。

私は、ダミアン・マーリーの“Affair of the Heart”さえ、音楽理論から行くと、ギリギリレゲエではない、と考える原理主義者なので、どう判断しているかは控えます(どうだっていいしね、実際)。

(去年、撮った中でお気に入りの一枚を公開しますです。ダミアン、セラシエ様を背負ってます)

 

先日、ひょんなことからジャパンスプラッシュをまとめていたソニー落合さんakaさぶさんとやり取りをする機会があって、思い出に浸っているうちに自分のルーツを思い出したので、それを伝えようかなぁ、と。

90年代。

ジャパスプラッシュをやっていたタキオンは、RM(レゲエ・マガジン)の発行とナーキさんのマネージメント、それからタキオン・レコーズというレーベルもやっていました。
学生時代、私はスカとロックステディの7インチを集めていたので、入社して半年もしないうちに、タキオン・レコーズのプロデューサーでもあったさぶさんに、次の、とっても大胆な発言をしたのです。
「私は日本のコレクターが血眼で探している、ファースト・プレスしか存在しないレア盤をほとんど知っている。そういう曲ばっかり集めてCDにしたら、絶対に売れる」
いやー、若いって怖いですね。こんな思い上がった台詞に対して、さぶさんから返って来た言葉。

「うん。わかるよ。池城君がそういう曲を知っているのも信じるし、作ったら売れるんだろうなぁ、と思う。でもね、そういうアルバムを作っても、歌ったシンガーにも曲を演奏したミュージシャンにも全然お金が入らないんだ。だから、俺はやらないよ」

スカやロックステディの時代はクレジットがぐちゃぐちゃだったうえ(ほとんど、お金を出しただけのプロデューサーが権利を持っています)、転売を重ねているので当のアーティストには印税が入らないのです。

さぶさん、このとき、まだ30代後半。

ビックリして、無知な自分が恥ずかしくて。私は、このときの情けない気持ちを一生忘れないでしょう。以来、レゲエに関わるたびに、

「これは、ジャマイカのためになるのかな」

と、考えるように心がけています。ほんのちょっとでも、間接的にでも、プラスならやるべき。利益が大きくてもマイナス要素があるなら、やらない。

ジャマイカ人のビジネスのやり方はエグいから、そんな綺麗事を言っていられない場合もあります。私なんかより、大きな仕事をしている人ほど、その思いは強いでしょう。でも、やっぱりレゲエは小さな貧しい国の音楽なのだから、

この姿勢だけは、絶対に大切。

「レゲエ」の看板を出している日本人が全員、そういう気持ちを持ったら、日本のレゲエ・シーンにとってもいい結果が待っている気がするのですが、どうでしょう。

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