ブルックリンの美大、Prattでスパイク・リーが公演、。
ジェントリフィケーションについて、久しぶりに「らしい」感じで吠えました。
若手読者のために→
スパイク・リーは、アフリカン・アメリカン系で第一人者の映画監督さんです。『マルコム・X』を撮った人。初期の作品は、生まれ育ったブルックリンで撮影しています。
ほとんどの人のために→
ジェントリフィケーションは、「地域の高級化」と訳される現象です。アメリカだと、ドーナツ化現象(これは自分で調べてちょんまげ)でインナーシティ化(ヒップホップ好きだったら、これはわかっていてちょんまげ)していた場所に、通勤に便利なために主に白人のお金を持っている人たちが流入して、元々住んでいた「ワッツァァアップ!」な人たちを追い出すことを指します。
それでは、ニューヨーク・ニックスのファンにとっては、まぁまぁ迷惑な監督さん(だってチームの監督気取り)の話を聞いてみましょう。11分強です(そのまま貼ろうと思ったのですが、サウンドクラウドはダメなんですねー)。英語の勉強になるよ。
主旨は「ジェントリフィケーションは黒人の住人にとってはいいことは一つもないよ。元々いたのに、コロンブスみたいに後から来て、変えようとするな! 俺の親父はジャズ・ミュージシャンで家で演奏したら、新しい住人に騒音で警察を呼ばれた。ふざけるな!(中略)どんどん家賃が上がって、奥に追いやられる。コニー・アイランドの先は海だぜ!」学校のこともたくさん話しています。
ニューヨークの生活費全体が高くなっているから、黒人が南部に移って人口が減っていることも。
プエルトリカンは島に帰るしかないのか、とも。
危ないイメージが残ってしまうブッシュウィックが、イースト・ウィリアムズバーグというイメージのいい、新しい名前で呼ばれていることも。これは困りますねー。ゲトー・ボーイズのブッシュウィック・ビルの立場は!
私が住んでいるフォート・グリーンもジェントリフィケーションが進みすぎて、独自の色を失いかけています。正直、初期段階は私にとってプラスが多かったです。警官の見回りが多くなって安全になり、お店にオーガニックのミルクやソイミルク(豆乳)が当たり前に置かれるようになったり。
でも、進みすぎると、昔からあったカフェがなくなって、スターバックスが来ちゃう(徒歩圏内に3軒。多すぎ)。酔っ払いのおじさんとか、「なぜに?」な変わった格好をした人とか、共存していた面白いキャラがいなくなる。
フルトン・モールもだいぶ変わって、アルマーニ・エクスチェンジやH&M、スワロフスキーのお店が出来ました。怪しげなDVDショップや、ゴールドを扱うお店、ウィッグのお店などの割合が減っています。
つーまーらーなーい!!!
もうひとつ、このニュースで面白いと思ったのが、インターネットでCNNやNY Times、有名ブログが参戦して、みんな喧々諤々やっていること。いまどきのニュースは、テレビの向こうから一方的に伝えられるものではなく、一つのネタがあって、それに関してAさんはこう言っている、B氏はこう考えている、と調べながら自分もいろいろな角度から考える時代なのです。
それは、おーもーしーろーい!!
もし、自分が白人さんで「来るな」って言われたら、私も反論したくなるかも。スパイクに対して「大金持ちのくせに!」との意見も多い。でも、それは筋違い。金を持ったからと言って、保守的になったらスパイク・リーでなくなってしまうし、そこまで有名だから、街のおっちゃんがみーんな言っていそうな意見でも、世間がこぞって反応するわけだし。本人もわかっていて、自分に課せられた役割を果たしている節もある。
日本のジェントリフィケーションを調べたら、大学時代に通った大好きな吉祥寺の話が出て来て、興味深いとともに、「え、伊勢丹もパルコもロンロンももうないの!」と浦島花子になりました(興味のある人は、こちらからどうぞ)
人は環境で変わります。環境が変われば人も変わる、と言ってもいいかもしれません。私たちの個性は、それほど強固ではないのです。
どこに住むか、どんな場所に出入りするかは、大事。
自分を変えたいとき、行動範囲や出入りする場所を変えるのが手っ取り早い。
私は、アーティスティックなようでどこか貧乏くさく(だって元はブラック・ネイバーフッド。公園の向こうはプロジェクトー低所得者向け団地です)、雑多で少し緊張感のあるフォート・グリーンが好きでした。ライターをやるのにふさわしい場所だったし、「こういう人間でありたい」というカラーにも合っていました。
……夕方の5時前にフライドチキンが売り切れるアンおばさんのお店が閉まった14年前あたりから、ジェントリフィケーションの野郎は来ていたのだなぁ。おばさんは体格がいいのを通り越して巨大で、「毎日食べたら危険なカロリーなんだろうな」と思いつつ、1週間に一度は通っていました。
すすけた小さなお店が人気店だと気づいて常連になった98年頃、「付け合わせのポテトサラダが大好き」と言ったら、大きめのプラスティックの容器(よくチャイニーズのヌードルが入っているあれです)に思いっきり詰めて、「あげる」と渡されました。ひょっとしたら、1ドルくらいチャージされたかもしれないけど、とにかく「持ってけドロボー!」な量でした。3日間は持つな、と喜んだら、遊びに来た友だちが「美味しい、美味しい」と言いながら、目を離した隙に、その危険でとっても大事なポテサラを完食していました。一体、あのポテサラには何が入っていたのでしょう。おばさんと、同じ体格の息子は、ノースカロライナに行っちゃったんだっけ。
もう1度、あのフライドチキンとポテサラが食べたいです。