ウィッグ文化について考える

金曜日に10年に一度あるかないかのドンデン返しを喰らい、その衝撃で土曜日にホーム・パーティーがあったにもかかわらず、2日で1キロの割合で痩せています。まぁ、こういう痩せ方はすぐに戻っちゃうんですけどね。

本題。BMRの次号に掲載されるケリ・ヒルソンのインタヴュ―でカットした部分に「全部ブロンドに変えたのが、最近の大きな変化」との発言があり、「え、ウィッグでも髪の色変えたって言うの?」と仰天しつつ、いや、ここまで言い切るなら、ヅラじゃないんだろう、と思ったり。

日本でもヘア・ピースを足すのは当たり前だけど、ウィッグを毎日かぶるのは仕事で必要な人くらいでしょう(そういう意味では、ケリさんもそうだけど)。でも、こちらの人はもっと気軽に使うようで、2日前より髪が3倍長くなっているとか、色が違うとか日常茶飯事。Woofin’の連載でも取材したように、ウィッグ屋さんもいっぱいあります。

黒人の女の人が地毛を真っ直ぐにする場合、多大な時間と労力、それから薬剤の使い過ぎによる危険性があるので、「だったらウィッグで」という気持ちはよくわかる。女優のヴィヴィカ・A・フォックスは自分のウィッグのラインを持っているし、日本の「ヅラ」より、こちらの「ウィッグ」は正々堂々、悪びれるところがない。

問題は、髪型をほめる、という当たり障りのないはずの日常会話で、私が勝手に緊張すること。

「それ、ウィッグだよね」はNG。ならば、

「そのウィッグ、似合っているね」
はどうか? 先日、言ってみたら正解だったようで、とっても喜んでもらいました。

多人種文化の中で、こうやって物を覚えて行くのだなぁ、としみじみ。
ケリさんでーす。

$池城美菜子的紐育日記~Minako Ikeshiro' s NY Journal

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